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【海のミステリー】乗組員はどこへ消えた? 幽霊船メアリー・セレスト号の謎

地理・歴史
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この記事のざっくりまとめ
  • メアリー・セレスト号」は、1872年12月に大西洋のポルトガル沖で、乗っていたはずの人が誰一人いない状態で漂流しているのが発見された帆船です。「幽霊船(ゴーストシップ)」の最も有名な実例として知られています。
  • 船はニューヨークからイタリアへ工業用アルコールを運ぶ途中でした。発見時、船自体に大きな損傷はなく、積み荷や食料もほとんど手付かずの状態でしたが、船長とその妻・幼い娘、そして7人の船員の計10名全員が、忽然と姿を消していました唯一、救命ボートが1艘なくなっていました
  • なぜ彼らは無事に航海できそうな船を捨ててボートで脱出したのか?そしてどこへ消えたのか? その理由は全くの謎です。
  • 海賊説、反乱説、積み荷のアルコール爆発を恐れた説(これが比較的有力な仮説の一つ)、巨大イカ襲撃説、超常現象説など、様々な説が唱えられてきましたが、決定的な証拠は何もなく、真相は150年以上経った今も不明のままです。この事件は多くの小説や映画の題材となり、世界最大の海洋ミステリーの一つとして語り継がれています。

広大な海の真ん中で、帆を上げているのに誰も乗っていない船が、まるで意思を持っているかのように漂っている……。そんな「幽霊船(ゴーストシップ)」の話は、昔から船乗りたちの間で語られ、私たちの好奇心や恐怖心をかき立ててきました。

その中でも、最も有名で、最も不可解な実話として知られているのが、19世紀に起こった「メアリー・セレスト号(Mary Celeste)」の事件です。発見された船には、航海の途中だったはずの乗組員が一人も残っておらず、彼らがなぜ、そしてどこへ消えてしまったのか、その謎は150年以上たった今も解き明かされていません。

今回は、世界で最も有名な海洋ミステリーの一つ、メアリー・セレスト号にまつわる謎と、その背景に迫ってみましょう。

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大西洋に漂う無人の船:発見の瞬間

物語が始まるのは、1872年の12月初旬のこと。カナダ船籍の帆船「デイ・グラツィア号」が、ニューヨークからイタリアのジェノヴァへ向けて、大西洋上を航行していました。ポルトガルとアゾレス諸島の間の海域に差し掛かった時、彼らは前方に奇妙な動きをする一隻の帆船を発見します。

その船は、いくつかの帆を上げて風を受けているように見えるのに、どうも操船されている気配がなく、不安定に漂っていました。デイ・グラツィア号の船長が望遠鏡で何度確認しても、甲板には人影一つ見えません。これは何か異常事態が起きているに違いない、と感じた船長は、部下にボートを出させ、その不審な船の様子を確かめに行かせました。

ボートが近づき、乗り込んでみると、その船の名前は「メアリー・セレスト号」であることがわかりました。船は2本のマストを持つ、ブリガンティンと呼ばれるタイプの中型の帆船でした。そして、デイ・グラツィア号の船員たちが船内を調べていくうちに、彼らは信じられない、そして背筋が寒くなるような事実に直面します。

船の中には、誰一人として、人間の姿がなかったのです!

記録によれば、メアリー・セレスト号は、約1ヶ月前の1872年11月7日に、経験豊富な船長ベンジャミン・ブリッグズ、その妻サラとまだ2歳の娘ソフィア、そして7人の船員(一等航海士、二等航海士、料理人兼執事、そして4人の一般船員)、合計10人を乗せて、アメリカのニューヨーク港を出航したはずでした。目的地は同じくイタリアのジェノヴァで、主な積み荷は工業用の変性アルコールでした。

しかし、発見された時、その船長一家と7人の船員たちは、全員が跡形もなく、完全に姿を消していたのです。

船に残された奇妙な状況:何があったのか?

乗組員が忽然と消えてしまったメアリー・セレスト号。しかし、発見時の船の状態は、そのミステリーをさらに深めるものでした。

  • 船自体は航行可能
    船体には、嵐に遭遇したような大きな損傷や、海賊に襲われたような激しい戦闘の跡は、ほとんど見られませんでした。帆の一部は破れていたり、ロープ類が傷んでいたりしましたが、全体としては十分に航海を続けられる状態に見えました。
  • 積み荷や所持品は無事
    船倉に積まれていた約1700樽の工業用アルコールは、ほぼ手付かずの状態で残っていました。(ただし、後の調査で、いくつかの樽(9樽ほど)は空であった、あるいはアルコールが漏れ出していた、という報告もあります。)
    船長室には、船長の航海用具(ただし、航海には不可欠な精密時計<クロノメーター>や六分儀<天体の角度を測る道具>は見当たらなかったようです)や私物、妻サラのミシンやオルガン、娘ソフィアのおもちゃなども、そのまま残されていました。乗組員たちの船室も同様で、彼らの衣服や所持品、現金なども特に奪われた形跡はありませんでした。
  • 食料も十分
    船には、約6ヶ月分の食料と十分な真水が残されており、飢えや渇きで困窮していた様子はありませんでした。
  • 航海日誌の最後の記録
    船長がつけていた航海日誌(ログブック)も発見されました。最後の記述は、発見される9日前の11月25日付のもので、その時点での船の位置(アゾレス諸島のサンタマリア島の西方約110km)が記録されていました。
    その日の記述には、特に船に危険が迫っているとか、何か異常な出来事が起こったというような内容は書かれていませんでした。日常的な航海の記録が、そこで突然途絶えていたのです。
  • 唯一の大きな変化
    発見時に確認された最も大きな、そして重要な変化は、船に備え付けられていたはずの救命ボート(小型のボート)が1艘、なくなっていたことでした。

これらの状況から推測されるのは、メアリー・セレスト号の乗組員たちは、何らかの理由で、まだ十分に航海可能な状態の船を自ら放棄し、全員で救命ボートに移り、そのまま行方不明になってしまったのではないか、ということです。しかし、一体全体、何が彼らをそこまで追い詰め、あるいは船を離れる決断をさせたのでしょうか?

消えた乗組員たち:様々な仮説と憶測

船長一家と7人の船員は、なぜ、そしてどこへ消えてしまったのか? この「メアリー・セレスト号の謎」に対して、事件発生以来、実に様々な仮説や憶測が立てられてきました。中には非常に現実的なものから、SFやオカルトのようなものまであります。

【仮説1】海賊の襲撃?

当時の大西洋では海賊行為もまだ皆無ではありませんでした。しかし、前述の通り、価値のある積み荷や金品がほとんど手付かずであったこと、船体に激しい戦闘の跡がないことから、この説の可能性は低いと考えられています。

【仮説2】船内での反乱?

乗組員の一部が、船長に対して反乱を起こし、船長一家を殺害。その後、罪の発覚を恐れて救命ボートで逃走した、という説。しかし、船内に争った形跡がほとんど見られないことや、反乱を起こすほどの明確な動機が見当たらない(船長は評判の良い人物だったようです)ことから、これも可能性は低いとされています。

【仮説3】積み荷のアルコールによる爆発(またはその恐怖)?

これが、現在、比較的有力な仮説の一つとして考えられているものです。

メアリー・セレスト号が積んでいたのは、工業用の変性アルコールでした。これは揮発性が高く、燃えやすいガスを発生させます。航海中に、いくつかの樽からアルコールが漏れ出し、船倉内に可燃性のガスが充満した可能性があります。そして、何らかの原因(例えば、積み荷同士が揺れて擦れた際の火花など)で小規模な爆発が起こったか、あるいは「このままでは大爆発するかもしれない!」という強い恐怖に駆られた船長が、一時的に危険を回避するため、全員で救命ボートに乗り移り、船から少し距離を取ろうとしたのではないか、という説です。

発見時に船倉のハッチ(蓋)が開けられたままだった、という報告もあり、これはガスを換気しようとした行動と解釈できます。そして、救命ボートとメアリー・セレスト号を繋いでいたロープが、何らかの理由(例えば、予期せぬ突風や波、あるいはロープの劣化など)で切れてしまい、彼らは母船に戻ることができなくなってしまった。そして、小さな救命ボートで広大な大西洋を漂流するうちに、嵐に遭遇したり、食料や水が尽きたりして、全員が命を落としてしまったのではないか……

この説は、発見時の船の状況(大きな損傷はないが、乗組員が自ら離れたように見える)と、積み荷の性質をうまく結びつけて説明できるため、多くの専門家によって支持されています。(ただし、実際に爆発が起こったという確たる証拠はありません。)

【仮説4】船が座礁した(と勘違いした)?

航海中に、海図に載っていない浅瀬や暗礁に船が乗り上げてしまった(あるいは、乗り上げたと船長が勘違いしてしまった)ため、船が沈没すると思い込み、パニックになって急いで救命ボートで脱出したのではないか、という説。あるいは、一時的に座礁した後、潮が満ちてきて船が再び浮き上がったが、状況を確認するためにボートで離れていた乗組員たちが、船に戻れなくなった、という可能性も考えられます。

【仮説5】食中毒や病気?

船内で何らかの食中毒(例えば、パンに生えた麦角菌による幻覚症状など)や、急性の伝染病が発生し、乗組員が錯乱状態に陥って海に飛び込んだり、異常な行動をとったりしたのではないか、という説。しかし、乗組員全員が同時に、しかも短期間にそのような状態になるとは考えにくく、疑問点も残ります。

【仮説6】海の怪物や超常現象?

大ダコや巨大イカ(クラーケン)、あるいは未知の巨大な海の怪物に襲われて、乗組員が海に引きずり込まれた、というような、海洋冒険小説に出てくるような説。あるいは、UFOに誘拐された、バミューダトライアングルのような超常現象に巻き込まれた、異次元に消えた……など、オカルト的な憶測も、この事件のミステリアスさゆえに、後を絶ちません。(もちろん、これらは科学的な根拠に基づいたものではありません。)

【仮説7】保険金詐欺?

少し穿った見方ですが、メアリー・セレスト号の船長ブリッグズと、船を発見したデイ・グラツィア号の船長モアハウスは、個人的な友人同士であったという事実から、二人が共謀して、乗組員をどこか別の場所に隠し、船だけを発見したことにして、船の価値に応じて支払われる海難救助料を不正に得ようとしたのではないか、という保険金詐欺説も唱えられたことがあります。しかし、その後の裁判や調査で、そのような共謀を示す具体的な証拠は見つかっていません。

船のその後と文化的影響:幽霊船の伝説

乗組員が消えた謎の船、メアリー・セレスト号は、発見したデイ・グラツィア号の乗組員たちによって、ジブラルタル(スペイン南端にあるイギリス領)の港まで無事に送り届けられました。そこでイギリスの海事裁判所によって、保険金や海難救助料の支払いに関する調査が行われましたが、乗組員失踪の原因が解明されることはありませんでした。

メアリー・セレスト号自体は、その後、所有者が何度も変わりながら、修理され、10年以上もの間、商船として大西洋などを航行し続けたと言われています。しかし、「幽霊船」としての不吉な評判がついて回ったためか、その船歴はあまり幸運なものではなかったようです。そして1885年、最後の船主となった人物が、保険金を得る目的で、カリブ海のハイチ沖にあるサンゴ礁にわざと船を座礁させ、火をつけて沈めようとしました。(幸い(?)船は完全には沈まず、保険金詐欺は発覚し、船長は有罪となりました。)こうして、数奇な運命を辿ったメアリー・セレスト号は、その生涯を閉じたのです。(2001年には、海洋考古学者によって、ハイチ沖の海底でメアリー・セレスト号のものと思われる船の残骸が発見された、と報告されています。)

しかし、船自体がなくなっても、メアリー・セレスト号の物語は終わりませんでした。乗組員が忽然と消えたという、その不可解でドラマチックな事件は、「幽霊船(ゴーストシップ)」の最も有名で、最も象徴的な実例として、世界中の人々の想像力をかき立て、語り継がれることになったのです。

特に、後に『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者として世界的に有名になる、若き日のアーサー・コナン・ドイルが、1884年にこの事件に触発された(とされる)海洋ミステリー短編小説『J・ハバクック・ジェフソンの遺書』(原題: J. Habakuk Jephson’s Statement)を発表したことが、事件の知名度をさらに高める大きなきっかけとなりました。(ただし、ドイルの小説はあくまでフィクションであり、事件の真相を解明するものではありません。むしろ、小説の内容が史実と混同されることもありました。)

これ以降、メアリー・セレスト号の事件は、数えきれないほどの小説、映画、テレビドラマ、ドキュメンタリー番組などで取り上げられ、「解明されない海洋ミステリーの代名詞」として、その名を不動のものとしています。

まとめ:永遠に解けない海の謎?

1872年の冬、大西洋の真ん中で発見された、一隻の無人の帆船、メアリー・セレスト号。船長一家と7人の乗組員、合計10名は、なぜ、どこへ、そしてどのようにして消えてしまったのか?

積み荷のアルコールが引き起こしたパニックだったのか? 海賊や反乱者の仕業だったのか? それとも、巨大な海の怪物や、人知を超えた何かの力が働いたのか……?

これまで、150年以上にわたって、様々な仮説が立てられ、調査が行われてきましたが、決定的な証拠は何一つ見つかっておらず、その真相は今もなお、深い海の謎の中に閉ざされたままです。おそらく、その答えを知る者は、もうこの世にはいないでしょう。

もしかしたら、その真相は、私たちが想像するよりもずっと単純な、いくつかの不運な偶然が重なった結果なのかもしれません。あるいは、全く予想もつかないような、驚くべき事実が隠されているのかもしれません。

メアリー・セレスト号の物語は、広大な海の持つ、時に美しく、時に恐ろしい神秘性と、そして人間の想像力を永遠にかき立て続ける「未解決の謎」の魅力を、私たちに強く感じさせてくれます。あなたなら、この150年以上続く海洋ミステリーを、どのように解き明かしますか?

※本記事では英語版も参考にしました

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