- 「十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)」は、今から1400年以上も昔、飛鳥時代の604年の今日、5月6日に、聖徳太子(厩戸皇子)が制定したと伝えられている、日本で最初の本格的な「国のルールブック」の一つです。(※制定者や年代には諸説あります)
- 全17か条の条文からなり、当時の国の役人(官人)や有力な豪族たちに対して、守るべき心構えや道徳を示したものです。
- 特に有名なのが、第一条の「和を以て貴しと為し」(みんなで仲良くすることが最も大切だ)や、第二条の「篤く三宝を敬え」(仏教を深く敬いなさい)、第三条の「詔を承はりては必ず謹め」(天皇の命令には必ず従いなさい)、第十七条の「事は独り断むべからず。必ず衆と共に宜しく論ふべし」(物事は一人で決めずに、みんなでよく相談しなさい)といった教えです。
- この憲法の目的は、豪族たちの争いを抑え、天皇を中心とした中央集権的な国づくりを進め、役人としての倫理観を高めることにありました。仏教や儒教の思想が色濃く反映されています。
- 今日の私たちが考える「憲法」(国民の権利保障や国の仕組みを定めた最高法規)とは少し性格が異なりますが、日本の国のあり方の理想を示した、歴史的に非常に重要な文書です。
今から1400年以上も昔、飛鳥時代の604年の今日、5月6日。この日は、日本の国の成り立ちを考える上で、非常に重要な出来事があった日とされています。当時の推古天皇(日本初の女性天皇とされる)のもとで、摂政(天皇を補佐する役職)として政治の中心にいた聖徳太子(厩戸皇子 / うまやどのおうじ)が、「十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)」と呼ばれる、国の役人たちのための大切な心構えや守るべきルールを定めた、と伝えられている日なのです。
※『日本書紀』という歴史書に、推古天皇十二年夏四月三日の出来事として記されており、これを現在の西暦に換算すると604年5月6日頃にあたると考えられています。ただし、本当に聖徳太子が作ったのか、正確な年代などについては、歴史学者の間では様々な議論があります。この記事では、広く知られている伝承に基づいて話を進めます。
「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)し…」という、非常に有名な書き出しで始まるこの十七条憲法。それは一体、どのような内容で、どのような目的で作られたのでしょうか? 日本の歴史における、最初の本格的な「国のルールブック」の一つとも言える、その世界を覗いてみましょう。
十七条憲法とは? 誰のためのルール?
「十七条憲法」という名前を聞くと、私たちは現在の「日本国憲法」のような、国の最高法規を思い浮かべるかもしれません。しかし、その性格は少し異なります。
まず、十七条憲法は、その名の通り、全部で17か条の条文から構成されています。そして、その主な対象は、国民全体というよりも、当時の朝廷(中央政府)に仕える役人(官人)たちや、地方で大きな力を持っていた豪族(ごうぞく)たちでした。
彼らに向けて、「国のリーダーとして、あるいは公(おおやけ)に仕える者として、どのような心構えを持ち、どのように行動すべきか」という、道徳的な教えや政治を行う上での心構えを、具体的に示したものだったのです。言ってみれば、「エリート官僚・貴族のための服務規程」や、「リーダーシップ論」に近い性格を持っていたと言えるでしょう。
なぜ作られた? その背景と目的
では、なぜ聖徳太子(あるいは当時の朝廷)は、わざわざこのような17か条の「おきて」を作る必要があったのでしょうか? それを理解するためには、当時の日本の状況を知る必要があります。
乱立する豪族と争い
7世紀初頭の日本は、まだ天皇の力が全国隅々にまで強く及んでいるとは言えず、各地で有力な豪族たちが大きな勢力を持っていました。そして、これらの豪族たちは、自分たちの土地や財産、あるいは朝廷内での地位などを巡って、しばしば互いに対立し、時には武力で争うこともありました。例えば、聖徳太子自身も関わったとされる、仏教の受け入れを巡る蘇我氏と物部氏の大きな争い(丁未の乱、587年)などがその例です。このような豪族間の争いは、国の統一と安定にとって、大きな妨げとなっていました。
天皇中心の国づくりを目指して
このような状況の中で、推古天皇と、その甥であり皇太子、そして摂政として政治の実権を握っていた聖徳太子は、天皇を中心とした、より強力で、より統一された中央集権的な国家を築こうとしていました。そのために、彼らは様々な改革を進めていたと考えられています。
- 冠位十二階(かんいじゅうにかい)の制定(603年)
それまでの家柄(氏姓制度)にとらわれず、個人の才能や功績に応じて、朝廷での位(冠位)を与え、役人を登用しようとした制度。中央政府の人材確保と、天皇への忠誠心を高める狙いがありました。 - 遣隋使(けんずいし)の派遣(600年、607年など)
当時、東アジアで最も進んだ文明を持っていた中国の隋(ずい)に使者を派遣し、その進んだ政治制度、法律、文化、そして仏教などを積極的に学ぼうとしました。(有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや否や」という国書を送ったのも、この時の遣隋使です。)
役人の「あるべき姿」を示す
「十七条憲法」もまた、このような天皇を中心とした国づくりを進めるための重要な改革の一環として制定されたと考えられます。その主な目的は、
- 豪族たちが自分勝手な争いをやめ、国全体の調和、すなわち「和(わ)」を最も大切なこととして考えるように促すこと。
- 国の政治を動かす役人(官人)たちが、どのような心構えで仕事に取り組むべきか、その道徳的な規範を示すこと。(例えば、私利私欲を捨てて公平であること、まじめに働くこと、互いに協力することなど。)
- 天皇の命令(詔 / みことのり)は絶対であり、それに謹んで従うことが役人の本分であることを明確にし、天皇への忠誠心を植え付けること。
- そして、当時日本に伝わり、国づくりの精神的な支柱となりつつあった仏教や、中国から伝わった儒教の教え(例えば、礼儀正しさ、信義、君臣関係など)を、国の基本的な理念として取り入れ、人々に示すこと。
にあったと言えるでしょう。
何が書かれている? 有名な条文を覗いてみよう
十七条憲法の条文は、漢文で書かれており、現代の私たちには少し難しく感じられるかもしれません。しかし、その中には、1400年以上経った今でも、私たちの心に響き、あるいは考えさせられるような、普遍的な教えや価値観が込められています。特に有名な条文をいくつか、分かりやすく見てみましょう。
※記述や読み、現代語訳には諸説あります。
【第一条】 和を以て貴しと為し…
一に曰く、和(わ/やわらぎ)を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。
意味:第一に大切なことは、人々が互いに仲良くし、調和(和)を保つことを最も尊いこととしなさい。そして、無闇(むやみ)に他人と対立したり、反発し合ったりしないことを基本の心構えとしなさい。
これは、十七条憲法全体を象徴する、最も有名な一文です。個人的な感情や利害で争うのではなく、集団全体の調和と協調を重んじることの重要性を説いています。この考え方は、その後の日本の社会や文化における「和の精神」の源流の一つとして、しばしば言及されます。
【第二条】 篤く三宝を敬え…
二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。…
意味:第二に、三つの宝を心から篤く敬いなさい。三つの宝とは、仏(目覚めた人、ほとけさま)、法(仏さまが説かれた正しい教え)、そして僧(その教えを守り実践するお坊さんたちの集まり)のことです。これらは全ての生き物にとって最終的な拠り所であり、あらゆる国が尊ぶべきものです。
聖徳太子自身が深く仏教に帰依していたとされることから、この条文は、仏教を国家統治の根本的な精神的支柱として位置づけ、それを篤く敬うことを役人たちに求めています。当時の日本において、仏教が国家レベルで重視され始めていたことを示す重要な条文です。
【第三条】 詔を承けては必ず謹め…
三に曰く、詔(みことのり)を承(うけたま)はりては必ず謹め。君をば天(あめ)とす、臣(やつこ)をば地(つち)とす。…
意味:第三に、天皇陛下からの命令(詔)を受け取ったならば、必ず、それを謹んで(真剣に、敬意をもって)受け止め、実行しなさい。君主(天皇)はいわば天であり、臣下(役人たち)はいわば地のようなものである。…(天が地を覆うように)君主が言えば、臣下はそれに従うのが道理である。
これは、天皇を中心とする国家体制を確立しようとする、聖徳太子の強い意志が表れた条文です。天皇の命令は絶対であり、役人たちはそれに忠実に従うべきである、という君臣関係の秩序を明確に示しています。
【第十条】 人の違うを怒らざれ…
十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違(たが)ふを怒(いか)らざれ。…人、皆心有り。心、各(おのおの)執(と)れること有り。彼是とすれば、我非とす。我是とすれば、彼非とす。…是非の理(ことわり)、定めて然るべからず。…
意味:第十に、心の中でカッとなる激しい怒りをなくし、顔や態度に表れる怒りを捨て去りなさい。そして、他人が自分と違うことをしても(違う意見を述べても)、それで腹を立ててはいけません。…人には皆それぞれの心があり、それぞれの心には自分が正しいと信じていること(こだわり)があるものだ。相手が『これが正しい』と言えば、自分は『それは間違いだ』と言い、自分が『これが正しい』と言えば、相手は『それは間違いだ』と言う。…何が絶対に正しくて何が絶対に間違っているかなどということは、そう簡単に決めつけられるものではないのだ。…
これは、現代社会においても非常に示唆に富む、寛容の精神を説いた条文です。人にはそれぞれの考え方や立場があることを認め、自分と意見が違うからといって感情的に怒るのではなく、冷静に受け止め、理解しようと努めることの大切さを示しています。
【第十二条】 百姓に斂め取ることを求むな…
十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に斂(おさ)め取ることを求(ま)つな。国に二君(ふたりのきみ)無く、民に両主(ふたりのあるじ)無し。…
意味:第十二に、地方を治める役人である国司や国造は、人民(百姓)から勝手に税を取り立ててはいけません。一つの国に二人の君主がいないように、一人の民に二人の主君はいないのです。(税を徴収する権限は、本来、国=天皇だけにあるべきものである。)
これは、地方の役人たちが、自分の利益のために人民から不当に税を取り立てることを厳しく禁じた条文です。民衆の生活を守り、公正な統治を行うことの重要性、そして税を徴収する権限は中央政府(天皇)に属するという、中央集権的な考え方を示しています。
【第十七条】 事は独り断むべからず…
十七に曰く、夫(そ)れ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)と共に宜(よろ)しく論(あげつら)ふべし。…
意味:第十七に、そもそも物事は、決して一人だけで判断して決めてはいけません。必ず、多くの人々と共に、よく相談し、議論しなさい。…そうすれば道理にかなった結論が得られるだろう。
十七条憲法の最後の条文は、合議制の重要性を説いています。重要な事柄は、一人の考えで独断的に決めるのではなく、関係する人々が集まって、十分に話し合い、議論を尽くして決めるべきだ、という教えです。これは、現代の民主主義における熟議の精神にも通じるものがあり、日本の組織運営などでしばしば重視される「話し合い」の文化の源流とも言えるかもしれません。
「憲法」だけど今の憲法とは違う? その性格と意義
このように、十七条憲法には、現代にも通じるような普遍的な道徳や、政治を行う上での重要な心構えが数多く含まれています。しかし、「憲法」という名前が付いていますが、私たちが今日使っている「日本国憲法」とは、その目的や性格が大きく異なっている点には注意が必要です。
- 対象の違い
日本国憲法は、国の最高法規として、国民全体の権利や義務、そして国の統治機構全体を定めています。一方、十七条憲法は、主に国の役人や豪族といった支配者層に向けられた、道徳的な訓示や服務規程としての性格が強いものでした。 - 権利保障の視点
日本国憲法は、国民の基本的人権を保障し、国家権力がそれを侵害しないように制限することを最も重要な目的の一つとしています。しかし、十七条憲法には、そのような国民の権利を保障するという視点はほとんど見られません。むしろ、天皇への服従や、国家への奉仕といった、臣下としての義務や心構えを強調する内容が中心です。 - 法的拘束力
日本国憲法は、違反すれば無効となる最高法規としての強い法的拘束力を持ちます。一方、十七条憲法には、違反した場合の罰則規定などは特に定められていませんでした。それは、具体的な法律というよりも、人々の心に訴えかける道徳規範、政治理念を示すものであったと言えます。
ですから、十七条憲法を、現代的な意味での「憲法」と全く同じものと考えることはできません。しかし、そうであったとしても、この十七条憲法が、日本という国家の黎明期において、初めてまとまった形で国のあり方や理想像、そして公に仕える者の倫理観を示そうとした、極めて重要な法規範であったことは間違いありません。それは、その後の日本の法制度や政治思想、さらには文化や人々の価値観の形成に、長く大きな影響を与えてきた、歴史的な文書なのです。
まとめ:「和」の精神、未来へのメッセージ
604年の今日、5月6日に制定されたと伝えられる、聖徳太子の十七条憲法。それは、古代日本の国づくりを進める上での、重要な指針となるべく作られた、知恵と理想が込められたルールブックでした。
特に、その冒頭に掲げられた「和を以て貴しと為す」という精神は、日本人の価値観や行動様式を象徴するものとして、その後1400年以上にわたり、様々な形で語り継がれてきました。また、仏教を尊重する姿勢や、合議制を重んじる考え方も、日本の文化や社会の基層に流れ続けている要素と言えるでしょう。
もちろん、書かれている内容すべてが、現代の私たちにとってそのまま通用するわけではありません。しかし、この古い憲法の条文の中に、例えば「人と違うことを怒らない」(第十条)といった寛容の精神や、「物事は皆でよく相談して決めるべきだ」(第十七条)といった合議の重要性など、時代を超えて輝きを失わない普遍的な知恵を見出すこともできます。
憲法記念日(5月3日)を含むこの時期に、日本の最初の「憲法」とされるこの十七条の言葉に触れてみることは、私たちが暮らすこの国の成り立ちや、古くから大切にされてきた価値観について、改めて考え、未来へのヒントを得るための、良い機会となるかもしれませんね。



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