- イディ・アミンは、1970年代にウガンダを支配した軍人出身の独裁者。
- クーデターで権力を握り、反対派の粛清や国民の虐殺など、恐怖政治を敷いた。
- アジア系住民を追放し、ウガンダ経済を混乱させた。
- 「スコットランド最後の王」「大英帝国征服者」など、大げさな自称や奇行で知られる。
- 食人疑惑など、その残虐性を示すショッキングなエピソードも多い。
- タンザニアとの戦争に敗れて失脚し、サウジアラビアへ亡命、そこで生涯を終えた。
アフリカ現代史において、その名を恐怖と共に記憶されている人物がいます。ウガンダの元大統領、イディ・アミン・ダダです。彼の支配した1970年代のウガンダは、暴力と混乱、そして奇妙なエピソードに彩られていました。今回は、この悪名高き独裁者の実像に迫ります。
軍人から大統領へ:権力への道
イディ・アミンは、もともとイギリス植民地時代のウガンダで軍人としてのキャリアをスタートさせました。若い頃はボクシングのヘビー級チャンピオン(東アフリカ)として9年間も君臨したほどの屈強な肉体の持ち主だったと言われています。
軍内部で着実に階級を上げ、独立後のウガンダ軍で要職に就きます。そして1971年、当時のオボテ大統領が外遊中に軍事クーデターを決行し、実権を掌握。自ら大統領の座に就きました。当初、オボテ政権に不満を持っていた国民の一部からは、アミンを解放者として歓迎する声もあったと言われています。しかし、その期待はすぐに恐怖へと変わっていきました。
恐怖政治と独裁
大統領となったアミンは、自身の権力を固めるために恐怖政治を開始します。秘密警察や軍を使い、前政権の支持者や自分に反対する勢力、さらには有力な部族などを次々と弾圧・粛清していきました。彼の治世下で、正確な数は不明ながら、10万人から50万人もの人々が殺害されたと推測されています。遺体がナイル川に遺棄され、ワニの餌食になったという凄惨な話も伝わっています。
さらに1972年、アミンは突如としてウガンダ国内に住むアジア系住民(多くはインド・パキスタン系で、経済的に成功していた)に対し、わずか90日以内の国外退去を命じます。彼らの財産は没収され、アミンの支持者たちに分配されましたが、商業や専門職を担っていたアジア系住民がいなくなったことで、ウガンダ経済は壊滅的な打撃を受けました。
奇行と衝撃のエピソード
イディ・アミンは、その残虐な独裁ぶりだけでなく、常軌を逸した言動やパフォーマンスでも世界を驚かせました。彼のキャラクターを物語る有名なエピソードをいくつかご紹介しましょう。
仰々しい自称・肩書
アミンは自らを飾るために、非常に大げさな肩書を好んで名乗りました。例えば、「終身大統領、陸軍元帥、アル・ハジ、ドクター、イディ・アミン・ダダ、VC、DSO、MC、全地上動物および海中魚類の王、アフリカおよびウガンダにおける大英帝国征服者(CBE)」など、聞いている方が困惑するような長い称号を公式な場で使用していました。中でも「スコットランドの最後の王」という自称は特に有名で、スコットランド独立を支持するメッセージを送ったりもしています。
外交儀礼を無視した行動
国際的な常識などお構いなし、という行動も目立ちました。例えば、英国のエリザベス女王に対し、「もし経済的な援助が必要なら、私に言うべきだ」という趣旨の電報を送ったり、「(女王の)中古の下着を送ってほしい」と要求したという話もあります(真偽は不明ですが、彼のキャラクターをよく表しています)。また、来訪した外交官を長時間待たせた挙句、プールで泳いでいたり、会議中に突然アコーディオンを演奏し始めたりすることもあったようです。
白人に担がせるパフォーマンス
1975年には、ウガンダ在住の白人ビジネスマンたちに、自分を乗せた椅子(輿)を担がせて運ばせるというパフォーマンスを行いました。これは、かつての植民地支配に対する「仕返し」のつもりだったと言われています。その様子は写真にも残っており、世界に衝撃を与えました。
食人疑惑
アミンに関する最もショッキングな噂の一つが「食人」です。政敵や反抗的な国民の肉を食べた、あるいは冷蔵庫に保管していた、などという噂が絶えませんでした。本人はインタビューでこれを否定したり、逆に冗談めかして肯定するような発言をしたりしており、真相は定かではありません。しかし、この噂が広まること自体が、彼がいかに恐ろしい存在と見られていたかを物語っています。
これらのエピソードは、彼の残虐性、自己顕示欲の強さ、そして予測不能な性格をよく示しています。
失脚と亡命
アミンの独裁と失政は、ウガンダ国内だけでなく、周辺国との関係も悪化させました。特に隣国タンザニアとの対立は決定的となり、1978年にはウガンダ軍がタンザニアへ侵攻。これが引き金となり、ウガンダ・タンザニア戦争が勃発します。
タンザニア軍は反アミン派のウガンダ人勢力と共に反撃し、1979年4月には首都カンパラを陥落させました。アミンは国外へ逃亡し、当初はリビアに身を寄せましたが、最終的にはサウジアラビアに亡命しました。
晩年と死
サウジアラビア政府は、政治活動を行わないことを条件にアミンの亡命を受け入れ、彼に住居や生活費を提供しました。彼は複数の妻や多くの子供たちと共に、亡命先で比較的穏やかな生活を送ったとされています。時折メディアの取材に応じることもありましたが、自身の行った残虐行為について反省や謝罪の言葉を述べることはなかったと言われています。
そして2003年、アミンは亡命先のサウジアラビア・ジッダにある病院で、多臓器不全のため亡くなりました。80歳前後だったとされています(正確な生年は不明)。
まとめ:歴史に残る「怪物」
イディ・アミンは、間違いなく20世紀を代表する独裁者の一人です。彼の支配はウガンダに計り知れない傷跡を残し、多くの人々の命を奪い、国を混乱に陥れました。その一方で、彼の常軌を逸したキャラクターや数々のエピソードは、彼を一種の「怪物」として歴史に刻み込み、映画『ラストキング・オブ・スコットランド』など、多くのフィクション作品の題材ともなっています。
彼の存在は、権力が個人にもたらす影響の恐ろしさ、そして人間の持つ残虐性と奇妙さが同居しうる複雑さを、私たちに突きつけているのかもしれません。




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