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【4月30日】40時間だけ、独裁者の妻。ヒトラーと最期を共にした女性エヴァ・ブラウン、隠され続けた人生の終焉

今日は何の日?
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この記事のざっくりまとめ
  • エヴァ・ブラウン(Eva Braun, 1912年~1945年)は、ナチス・ドイツの総統(指導者)であったアドルフ・ヒトラーの長年にわたる愛人であり、人生の最期の約40時間だけ、彼の法的な妻であった女性です。
  • 彼女は17歳の時に、ミュンヘンの写真スタジオで当時ナチ党の党首だったヒトラーと出会いました。二人の関係は長年続きましたが、ヒトラーの政治的イメージ戦略のため、その存在は第二次世界大戦が終わるまでドイツ国民にはほとんど知らされていませんでした
  • エヴァは、ヒトラーの私的な山荘「ベルクホーフ」などで共に暮らし、政治にはほとんど関与せず、ファッションやスポーツを楽しむ、比較的普通の女性だったと言われています。彼女は写真や映像(カラーフィルムも含む)を撮るのが趣味で、ヒトラーのプライベートな姿を映した貴重な記録を数多く残しました。
  • 1945年4月、ナチス・ドイツの敗北が決定的となる中、彼女は自らの意志でベルリンの総統地下壕にいるヒトラーのもとに駆けつけました。4月29日未明にヒトラーと正式に結婚し、その翌日の1945年の今日、4月30日の午後、ヒトラーと共に青酸化合物を飲んで自決しました。彼女の遺体は、ヒトラーの遺言により、彼の遺体と共に焼却されました。

今から80年前の今日、1945年4月30日。第二次世界大戦末期、ソ連軍の砲火が鳴り響き、陥落寸前となったナチス・ドイツの首都ベルリン。その地下深くに築かれた総統地下壕(フューラーブンカー)の一室で、20世紀の歴史を狂気と破壊で染め上げた独裁者、アドルフ・ヒトラーは、自ら命を絶ちました。

そして、その最期の瞬間、彼の傍らに寄り添い、同じように死を選んだ一人の女性がいました。彼女の名は、エヴァ・ブラウン(Eva Braun)。長年にわたりヒトラーの最も近くにいながら、その存在は国民の前にほとんど現れることのなかった、謎に包まれた女性です。

なぜ彼女は、世界の敵となった独裁者のそばを離れず、そして最期まで運命を共にしたのでしょうか? ヒトラーの愛人であり、ほんの束の間だけ妻であったエヴァ・ブラウンの人生と、二人が共に死を迎えた運命の日、4月30日の出来事を辿ってみましょう。

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写真スタジオでの出会い:少女と独裁者

エヴァ・ブラウン(25歳前後)

エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンは、1912年2月6日、ドイツ南部の都市ミュンヘンで、中流家庭に生まれました。父親は教師、母親は裁縫師という、ごく一般的な家庭環境で育ち、カトリック系の学校で学びました。彼女は特にスポーツが好きで、スキーや水泳、体操などを楽しむ、快活な少女だったと言われています。

彼女の人生が、歴史上の人物と劇的に交差することになるのは、17歳の時でした。1929年、彼女は学校を卒業した後、ミュンヘンにあったハインリヒ・ホフマンという人物が経営する写真スタジオで、助手兼モデルとして働き始めます。このホフマン氏は、当時急速に勢力を拡大しつつあったナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)の専属写真家であり、党首であるアドルフ・ヒトラーとは非常に親しい間柄でした。

そして、エヴァはまさにこの写真スタジオで、重要な顧客として頻繁に出入りしていたアドルフ・ヒトラーと出会ったのです。当時ヒトラーは40歳、エヴァは17歳。23歳もの年齢差がありましたが、ヒトラーは若く、健康的で、魅力的なエヴァに好意を抱いたと言われています。一方のエヴァも、すでに政治家として強いカリスマ性を放ち始めていたヒトラーに、強く惹きつけられたようです。二人の関係は、ここから始まりました。

隠された関係:総統の「秘められた」愛人

1931年頃(この年、ヒトラーが異常なほど可愛がっていた姪のゲリ・ラウバルが、ヒトラーのアパートで謎の自殺を遂げるという事件があり、失意のヒトラーをエヴァが慰めたことが関係を深めるきっかけになった、とも言われています)から、ヒトラーとエヴァの関係は、単なる知人を超えた、個人的で親密なものへと発展していきました。

しかし、ヒトラーは、自らがドイツの指導者(総統)への道を歩む中で、この若い女性との関係を徹底的に秘密にしようとしました。その理由はいくつか考えられています。

  • 政治的イメージ戦略
    ヒトラーは、自らを特定の女性に縛られない、「国家(ドイツ)と結婚した」禁欲的な指導者として演出しようとしていました。これは、特に多くのドイツ人女性からの熱狂的な支持を維持するために重要だと考えられていました。特定の愛人の存在が公になれば、このイメージが崩れてしまうことを恐れたのです。
  • エヴァの出自
    エヴァがごく普通の中流家庭の出身であり、ヒトラーが理想とする「アーリア人女性」のイメージとは必ずしも一致しなかったことも、公にしたがらなかった理由の一つかもしれません。
  • ヒトラー自身の複雑な女性観
    ヒトラー自身の女性に対する複雑な感情や、支配欲なども関係していた可能性があります。

エヴァにとって、この「公に認められない日陰の存在」としての立場は、精神的に大きな負担だったと考えられます。彼女はヒトラーからの愛情や関心を強く求め、その気を引くためか、あるいは絶望からか、1932年と1935年の二度にわたり、自殺未遂(一度目は父親のピストルで、二度目は睡眠薬の過剰摂取だったとされます)を起こした、という記録も残っています。

これらの出来事を経て、ヒトラーはエヴァに対してより深い責任を感じるようになり、彼女の存在を無視できなくなっていったようです。彼はエヴァに対して、より多くの時間を割き、経済的な援助を与え、そして自分の最も私的な生活空間へと彼女を招き入れるようになりました。

ベルクホーフでの日々:エヴァの素顔

エヴァとヒトラー(出典:wikimedia commons

1936年頃からは、エヴァ・ブラウンは、ヒトラーが最も気に入っていたとされる、バイエルン・アルプスの雄大な景色の中に建てられた山荘「ベルクホーフ(Berghof)」で、多くの時間を過ごすようになります。ベルクホーフは、ヒトラーが政治的な喧騒から離れてリラックスし、側近たちや国内外からの賓客を招く、私的な「宮殿」のような場所でした。

ここでエヴァは、ヒトラーの側近サークル(親衛隊長官ヒムラー、宣伝大臣ゲッベルス、軍需大臣シュペーアなど、ナチスの最高幹部たち)の中にあって、事実上の「女主人」のような役割を果たしていました。彼女は客をもてなし、パーティーを催し、ヒトラーの気分を和らげる存在だったと言われています。しかし、彼女の「愛人」という立場は依然として曖昧なままであり、重要な来客がある際には、彼女は表に出ることを避けたり、「秘書」として紹介されたりすることもあったようです。

一般的に、エヴァ・ブラウンは政治にはほとんど関与しなかったとされています。ヒトラーは、女性が政治に口を出すことを極端に嫌っており、エヴァにもそれを許しませんでした。彼女自身も、政治やイデオロギーに対して深い関心はなく、むしろファッション(彼女は流行の服や靴、化粧品を好み、贅沢を楽しんだと言われます)、ハリウッド映画の鑑賞、スキー、水泳、体操といったスポーツ、そして愛犬(ヒトラーから贈られたスコティッシュ・テリアの「ネグス」と「シュタジ」)と過ごすことを楽しむ、当時としては比較的「普通の若い女性」としての生活を送っていたようです。

しかし、彼女は後世にとって、一つ非常に重要な役割を果たしました。それは、写真撮影と、当時まだ一般には普及していなかった16mmカラーフィルムでの映像撮影が趣味だったことです。彼女は、ベルクホーフでのヒトラーのリラックスした日常風景――例えば、側近たちと談笑する様子、テラスで景色を眺める姿、愛犬のブロンディ(ヒトラーのシェパード)と戯れる様子、姪たちと楽しそうに過ごす時間など――を、数多くの写真やカラー映像で記録していました。

これらのエヴァが残した記録は、第二次世界大戦後に発見され、プロパガンダによって作り上げられた独裁者ヒトラーの公的なイメージとは異なる、彼の「私的な素顔」や、ナチス最高幹部たちの意外な日常を知る上で、他に代えがたい極めて貴重な歴史的資料となっています。

このように、ヒトラーの私生活の中心にいたにも関わらず、エヴァ・ブラウンという女性の存在は、ドイツ国民の大多数には、第二次世界大戦が終わるまでほとんど知られていませんでした。彼女がヒトラーと共に公の場に姿を現すことは極めて稀であり、もし一緒にいたとしても、彼女は常に目立たないように振る舞っていました。二人が一緒に写っている写真も、その多くは私的な状況で撮影されたものであり、戦後に初めて公にされたものがほとんどです。

最期の時:ベルリン地下壕での結婚と共同自決(1945年4月)

1945年春、ナチス・ドイツの敗北はもはや時間の問題となっていました。東からはソビエト連邦の赤軍が、西からはアメリカ・イギリスを中心とする連合軍がドイツ国内へと進撃し、首都ベルリンは完全に包囲されようとしていました。

アドルフ・ヒトラーは、連合軍による激しい空襲を避け、最後まで抵抗を続けるため、ベルリンの中心部にある総統官邸の地下深くに建設された、堅固な総統地下壕に籠っていました。そこは、迫りくるソ連軍の砲撃の轟音が絶えず響き渡り、敗北への絶望感と、側近たちの裏切りへの疑心暗鬼が渦巻く、まさに地獄のような場所でした。

この時、エヴァ・ブラウンは、ヒトラーの指示で比較的安全なバイエルン地方のベルクホーフに滞在していました。しかし、ベルリンが包囲され、ヒトラーの状況が絶望的であることを知ると、彼女は周囲の制止(ヒトラー自身も当初は彼女がベルリンに来ることに反対したと言われます)を振り切り、自らの強い意志で、危険なベルリンへと向かい、1945年4月15日頃、ヒトラーが籠る総統地下壕へと合流したのです。彼女は、最後までヒトラーのそばを離れず、彼と運命を共にすることを、固く決意していたのでした。

地下壕での最後の数日間。敗北を目前にし、精神的にも肉体的にも追い詰められていたヒトラーは、長年にわたって自分に忠実に尽くし、そしてこの絶望的な最期の瞬間まで自分のもとに留まることを選んだエヴァに対して、ある種の感謝と、最後の責任を果たそうと考えたのかもしれません。彼は、エヴァと正式に結婚することを決意します。

1945年4月29日の未明(ヒトラーの56歳の誕生日の翌週)、ソ連軍の砲弾がすぐ近くで炸裂する音が響く地下壕の一室で、アドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンは、ごく少数の側近(宣伝大臣ゲッベルス夫妻などが結婚の証人となりました)が見守る中、市役所の戸籍係(急遽呼び出されました)によって執り行われる、簡素な市民婚(民事婚)の手続きにより、法的に夫婦となりました。エヴァは、その結婚証明書に、震える手で、しかし誇らしげに「エヴァ・ヒトラー、旧姓ブラウン(Eva Hitler, geb. Braun)」と署名したと言われています。彼女がヒトラーの妻「ヒトラー夫人」であったのは、彼女の人生の最期の、わずか40時間足らずのことでした。

結婚式の後、ヒトラーは「政治的遺言書」(後継者の指名など)と、「個人的な遺言書」(財産の処分や、エヴァへの感謝など)を口述筆記させました。個人的な遺言書の中で、彼はエヴァについて、

長年にわたる友情を示してくれた後、ほとんど完全に包囲された首都に来て、自らの意志で私と運命を共にすることを望んだ。彼女は自身の望みにより、私の妻として私と共に死に行く。

と記し、彼女への感謝と、共に死を選ぶという彼女の決意を明記しています。

そして翌日、1945年の今日、4月30日の午後3時半頃。ソ連軍の兵士たちが、総統地下壕のある総統官邸の敷地内にまで侵入し始めているという報告の中、アドルフ・ヒトラーと、妻となったばかりのエヴァ・ヒトラーは、総統執務室に入り、共に自らの命を絶ちました

その自決の方法については、いくつかの説がありますが、最も一般的で有力なものによれば、二人はまず青酸化合物(シアン化合物、猛毒)の入った小さなガラス製のアンプル(カプセル)を噛み砕き、同時にヒトラーは拳銃(ワルサーPPK)で自らの右こめかみを撃ち抜いた、とされています。エヴァは青酸化合物のみで死亡したと考えられています。ヒトラーは、毒薬の効果が不確かだった場合に備えて、あるいはより確実に即死するために、銃を併用したのだろうと推測されています。

二人の遺体は、ヒトラーが生前に側近たちに厳命していた通り、自決直後に毛布にくるまれて地下壕の外の総統官邸の庭(当時は激しい戦闘で荒れ果てていました)に運び出されました。そして、そこに待機していた親衛隊員らによって、大量のガソリンがかけられ、火がつけられて焼却されました。これは、自分たちの遺体が敵、特にソ連軍の手に渡り、辱められたり、戦利品として見世物にされたりすることを、ヒトラーが極度に恐れていたためでした。(ソ連軍は後に焼け残った遺体の一部を発見し、密かに本国へ持ち帰ったとされています。)

まとめ:独裁者の傍らで生きた女性

エヴァ・ブラウン。彼女は、20世紀に最も多くの人々の運命を狂わせた独裁者の一人であるアドルフ・ヒトラーの、最も身近な私生活のパートナーでありながら、その存在は彼が権力の絶頂にあった間は、意図的に国民の目から隠され続け、死の直前にほんのわずかな時間だけ、法的な「妻」として認められた、という数奇な運命を辿った女性でした。

歴史家たちの間では、彼女は政治にはほとんど関心がなく、無知であり、ヒトラーが行っていた残虐な行為や戦争犯罪についても、どこまで深く認識していたのか(あるいは、知ろうとしなかったのか、見て見ぬふりをしていたのか)は不明である、とされることが一般的です。彼女は、世界史が大きく動くその中心にいながら、まるでそこから切り離された、ベルクホーフの山荘でのファッションや映画、スポーツといった「私的な世界」の中で、ある意味で無邪気に、あるいは無感覚に生きていたかのようにも見えます。

しかし、彼女が趣味で撮り続けた写真やカラーフィルムは、プロパガンダによって塗り固められた独裁者ヒトラーの、意外なほど「普通」に見える私生活の側面や、ナチス政権の内幕を垣間見せる、他に代えがたい貴重な歴史的証言となっています。

そして何よりも、ナチス・ドイツが崩壊し、ヒトラー自身も破滅へと向かう絶望的な状況の中で、安全な場所から自らの意志でベルリンの地下壕へと駆けつけ、最後まで彼に寄り添い、そして共に死を選んだという彼女の最期の行動は、それがどのような形であったにせよ、ヒトラーという人物に対する、揺るぎない強い愛情や、あるいは絶対的な忠誠心があったことを、私たちに強く示唆しています。

今日、4月30日は、エヴァ・ブラウンが、アドルフ・ヒトラーと共に、燃え落ちるベルリンの地下深くで、その33年間の生涯を自ら閉じた日です。彼女の人生は、歴史の巨大な渦の中で、一人の女性がどのように生き、何を思い、そしてどのような最期を選んだのか、そして独裁者の傍らで生きることの意味とは何か、について、多くのことを私たちに問いかけているのかもしれません。

※本記事では英語版も参考にしました

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