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【4月14日】アメリカ英語の父!ノア・ウェブスターが『アメリカ英語辞典』を発行した日

今日は何の日?
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この記事のざっくりまとめ
  • ノア・ウェブスター(1758-1843)は、アメリカ合衆国初期に活躍した辞書編纂者、教科書編集者、そしてスペル改革者。「アメリカ辞書の父」として知られています。
  • 彼は、独立したばかりのアメリカが、言語や文化においてもイギリスからの独立を果たすべきだと考え、アメリカ独自の英語の基準を作ることに情熱を燃やしました。
  • 彼が作ったスペリング(綴り方)の教科書「ブルーバック・スペラー」は、何世代にもわたるアメリカの子供たちの標準教材となり大ベストセラーに。color(イギリス英語ではcolour)やcenter(centre)といった、現代のアメリカ英語のスペルの基礎を築きました。
  • そして1828年の今日、4月14日、20年以上の歳月を費やして完成させた畢生の大著『アメリカ英語辞典(An American Dictionary of the English Language)』の初版を出版。この辞書はアメリカ英語の規範となり、「ウェブスター辞典」としてその名は今日まで引き継がれています。

今日、4月14日は、英語という言語、特に私たちが「アメリカ英語」として認識している言葉の形に、計り知れないほど大きな影響を与えた一人の人物、ノア・ウェブスターにとって、非常に重要な記念日です。今から約200年前の1828年、この日に、彼が生涯をかけて編纂した大事業、『アメリカ英語辞典』の初版がついに世に出たのです。

「アメリカ学問・教育の父」とも称されるノア・ウェブスターとは、一体どのような人物で、どのようにしてアメリカ独自の英語の基礎を築き上げたのでしょうか? その功績と情熱の物語を紐解いてみましょう。

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独立後のアメリカと言葉の問題

ノア・ウェブスターが生きた時代(1758年~1843年)は、アメリカ合衆国がイギリスからの独立戦争(1775-1783)を経て、まさに新しい国家として歩み始めたばかりの、希望と混乱が入り混じった時代でした。

政治的にはイギリスからの独立を果たしたものの、文化、とりわけ「言語」においては、まだ旧宗主国であるイギリスの強い影響下にありました。学校で使われる教科書の多くはイギリスで作られたものであり、英語のスペル(綴り)や発音、言葉の使い方も、地域によってばらつきがあり、アメリカ全体としての統一された基準というものが存在しませんでした。例えば、同じ単語でもイギリス風の綴りと、アメリカで使われ始めた少し違う綴りが混在しているような状況だったのです。

若きノア・ウェブスターは、燃えるような愛国心と、教育の力を強く信じる心を持っていました。彼は、「アメリカは政治的に独立しただけでなく、文化や言語においてもイギリスから独立し、アメリカ独自のアイデンティティを確立しなければならない」と強く主張しました。そして、そのためには、まずアメリカ国民全体が共有できる、標準化された「アメリカ英語」の規範を作り上げることが急務であると考えたのです。

ベストセラー教科書とスペル改革

ウェブスターが最初に着手したのは、未来のアメリカを担う子どもたちのための、新しい教科書の作成でした。1783年、彼は『A Grammatical Institute of the English Language(英語のための文法教本)』と題する、画期的な教科書シリーズを出版します。これは、(1) スペリング(綴り方)、(2) 文法、(3) リーディング(読本)という、言語学習に必要な要素を体系的にまとめた三部構成になっていました。

特に、その第一部であるスペリング教本は、その青い表紙から「ブルーバック・スペラー(Blue-Backed Speller)」という愛称で親しまれ、アメリカの教育史上、前例のない大ベストセラーとなりました。独立後のアメリカにおいて、聖書を除けば最も広く読まれた本とも言われ、何世代にもわたって、数千万人のアメリカの子どもたちがこの本を使って読み書きの基礎を学びました。この教科書を通じて、ウェブスターは、アメリカ国内における英語の綴りを統一していく上で、絶大な影響力を持ったのです。

さらにウェブスターは、単に既存の綴りを教えるだけでなく、英語のスペルそのものを、より発音に近く、より合理的なものに改革しようと試みました。これが「スペル改革」です。彼の提案の中には、現代のアメリカ英語の標準的な綴りとしてすっかり定着しているものが数多くあります。皆さんもよくご存知の例としては、

  • イギリス英語の -our を → アメリカ英語の -or
    (例: colour → color, favourite → favorite)
  • イギリス英語の -re を → アメリカ英語の -er
    (例: centre → center, theatre → theater)
  • 単語の最後につくことがある不要な -k を取る
    (例: musick → music, publick → public)
  • -ce-se
    (例: defence → defense, offence → offense)
  • -ise-ize
    (例: organise → organize, realise → realize) ※これはイギリスでも併用される場合あり
  • ploughplow に、draughtdraft に、など。

これらの変更は、単に綴りを簡単にするというだけでなく、アメリカ独自の言語規範を作り上げ、イギリスからの文化的な独立を示すという、ウェブスターの強い意志の表れでもありました。(ただし、彼の提案がすべて受け入れられたわけではありません。例えば、「舌」を意味する tonguetung に、「女性たち」を意味する womenwimmen に変えるといった、より大胆な改革案は、さすがに普及しませんでした。)

畢生の大著:『アメリカ英語辞典』の誕生(1828年4月14日)

教科書「ブルーバック・スペラー」の大成功によって、ウェブスターは教育者として大きな名声を得ましたが、彼の野心はそこで終わりませんでした。彼には、さらに大きな目標があったのです。それは、アメリカ人の手による、アメリカで使われている言葉を網羅した、本格的な英語辞書を完成させることでした。

彼は、当時主流だったサミュエル・ジョンソンなどのイギリス製辞書では、独立後のアメリカで生まれた新しい言葉(アメリカニズム)や、アメリカ独自の言葉の用法が十分に反映されていないと感じていました。そして、アメリカ国民が自信を持って使える、信頼できる「アメリカ英語」の基準となる辞書がどうしても必要だと考えたのです。

この壮大な辞書編纂プロジェクトに、ウェブスターは文字通り人生の後半生を捧げることになります。彼は、英語のルーツを深く探るため、なんと26以上もの言語(古代ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、アングロ・サクソン語、さらにはサンスクリット語など)を独学で習得し、言葉の語源を徹底的に研究しました。また、アメリカ各地を旅して、実際に人々が使っている言葉や発音を調査し、用例を収集しました。

そして、20年以上にわたるこの驚異的な努力の末、1828年の今日、4月14日、ついにその成果が世に出ます。ウェブスターが70歳にして完成させた、2巻組、約7万語を収録する大著『An American Dictionary of the English Language(アメリカ英語辞典)』の初版が出版されたのです。

An American Dictionary of the English Language
出典:wikimedia commons

このウェブスターの辞書は、いくつかの点で、それまでの辞書とは一線を画す画期的なものでした。

  • アメリカニズムの重視
    アメリカ独自の言葉(例えば、skunk(スカンク)、squash(カボチャの一種)、caucus(党員集会)など)や、アメリカ特有の言い回しを積極的に収録しました。
  • アメリカ式スペルの採用
    ウェブスター自身が推進してきたスペル改革(color, center, music など)を全面的に採用し、アメリカ英語の綴りの標準を示しました。
  • 語源研究の反映
    言葉の成り立ちや歴史的背景を重視し、詳細な語源情報を盛り込みました。
  • 発音表記の導入
    より実際の発音に近い形で言葉を理解できるよう、独自の発音記号を用いました。
  • アメリカの文脈からの用例
    聖書やイギリスの古典文学からの引用が主だった従来の辞書に対し、アメリカの作家(ベンジャミン・フランクリンなど)や政治家の文書からの用例を多く採用しました。
  • 明快で包括的な定義
    言葉の意味を、できるだけ簡潔に、しかしその用法を広くカバーするように記述しようと努めました。

この『アメリカ英語辞典』は、出版当初はその価格の高さ(20ドル、当時の労働者の数週間分の賃金に相当)などから、すぐに爆発的に売れたわけではありませんでした。しかし、その内容の質の高さ、包括性、そして何よりもアメリカの言語的現実に根ざした姿勢が次第に評価され、アメリカ英語の規範としての権威を確立していくことになります。

「ウェブスター辞典」という遺産

ノア・ウェブスターは、辞書編纂者・教育者としてだけでなく、多方面で活躍した人物でした。彼は政治評論家として、アメリカ合衆国の強力な中央政府を支持する連邦主義の立場から多くの文章を発表しました。また、作家や発明家の権利を守るための著作権法の制定にも大きな役割を果たしました。さらに、教育制度の改革や奴隷制度反対など、社会的な問題についても積極的に発言しました。晩年には、聖書を当時の分かりやすい英語に修正し、不適切な表現を取り除いたウェブスター版聖書も出版しています。

1843年にノア・ウェブスターがこの世を去った後も、彼が遺した『アメリカ英語辞典』は、その精神と名前を受け継いだ人々によって改訂が重ねられ、版を更新しながら出版され続けました。「ウェブスター辞典(Webster’s Dictionary)」という名前は、やがて信頼できる大型英語辞書の代名詞として、アメリカの家庭や学校、図書館に広く普及し、アメリカ人の言語生活に欠かせない存在となったのです。(ただし、「Webster’s」という商標は後にパブリックドメインとなったため、現在ではウェブスターの直接の後継であるメリアム・ウェブスター社以外の出版社も「Webster’s」の名を冠した辞書を多数出版しています。)

まとめ:言葉で国を形作った男

1828年の今日、4月14日に発行されたノア・ウェブスターの『アメリカ英語辞典』。それは、一人の人間の、新しい国家への愛国心と、言語教育への揺るぎない信念、そして20年以上にわたる驚異的なまでの知的探求と努力が見事に結実した、記念碑的な業績でした。

ノア・ウェブスターは、単に言葉を集めてその意味を記した辞書編纂者ではありませんでした。彼は、辞書や教科書という「言葉のツール」を通じて、若きアメリカ合衆国の言語的なアイデンティティを確立し、国民全体の教育レベルを引き上げ、そしてイギリスからの文化的な独立を成し遂げようとした、まさに「言葉の力で国を形作ろうとした男」だったと言えるでしょう。

彼が標準化に貢献したアメリカ英語のスペルは、今や世界中で使われ、「ウェブスター」の名を冠した辞書は、多くの英語学習者にとって頼れる伴侶となっています。ノア・ウェブスターが遺した偉大な遺産は、今日の私たちの言語生活の中に、確かに、そして力強く息づいているのです。

※本記事では英語版も参考にしました

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