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【4月4日】「親殺しは極刑」は憲法違反──尊属殺重罰規定違憲判決が出た日

今日は何の日?
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この記事のざっくりまとめ
  • 1973年(昭和48年)の今日4月4日は、日本の司法史において画期的な判決が下された日です。最高裁判所が、自分の親や祖父母を殺害した場合(尊属殺)の刑罰を、通常の殺人罪よりも極端に重く定めていた刑法第200条の規定は、日本国憲法に違反する(違憲)と判断しました。
  • この判決のきっかけとなったのは、長年にわたり実父から性的虐待を受けていた娘が、その父を殺害してしまった「栃木実父殺害事件」でした。
  • 最高裁は、「尊属を敬う道徳は尊重されるべきだが、いかなる事情があっても死刑か無期懲役しか選択できないほど刑罰が重いのは、憲法が保障する『法の下の平等』に反する」と結論付けました。
  • この歴史的な判決は、法律(刑法)の条文そのものを違憲とした数少ない重要な事例であり、後に刑法から尊属殺の規定が削除される直接的なきっかけとなりました。

4月4日。この日は、日本の法律と社会のあり方に大きな一石を投じた、重要な最高裁判決が出された日として記憶されています。それは、自分の親や祖父母などを殺害する「尊属殺」について、通常の殺人罪よりも著しく重い刑罰(死刑または無期懲役のみ)を科すことを定めていた刑法の規定(当時の刑法第200条)に対し、最高裁判所大法廷が「憲法違反である」という判断を下した、「尊属殺重罰規定違憲判決」です。

なぜこの規定が問題とされ、そして最高裁はどのような理由で違憲と判断したのでしょうか? その背景と判決の意義を詳しく見ていきましょう。

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問題となった「尊属殺」の重罰規定

判決が下されるまで、日本の刑法には殺人罪に関して、主に二つの条文が存在しました。

第199条(普通殺人罪)
人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ三年以上ノ懲役ニ処ス
(人を殺した者は、死刑、無期懲役、または3年以上の懲役刑)

第200条(尊属殺人罪)
自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス
(自分や配偶者の父母・祖父母などを殺した者は、死刑または無期懲役刑)

この二つを比較すると、尊属殺の場合、選択できる刑罰が「死刑または無期懲役」しかなく、「3年以上の懲役」という有期刑の選択肢が全くありませんでした。これが何を意味するかというと、たとえ犯行に至るまでに非常に同情すべき事情があり、裁判官が刑を軽くしたい(法律上の酌量減軽)と考えても、刑の下限があまりにも高いため、刑の執行猶予を付けることが事実上不可能だったのです。つまり、どんなに酌むべき事情があっても、必ず実刑となり、しかも非常に重い刑罰が科される可能性が高い、という極めて厳しい規定でした。

この規定の根底には、「子は親を敬い、大切にすべきである」という、古くからの道徳観がありました。親孝行を重んじる考え方が、親に対する最も重大な犯罪である「親殺し」を、他の殺人よりも格段に重く罰するべきだ、という形で法律に反映されていたわけです。

判決のきっかけ:「栃木実父殺害事件」

この尊属殺重罰規定の妥当性が、最高裁判所で正面から問われることになった直接のきっかけは、「栃木実父殺害事件」と呼ばれる、非常に痛ましい事件でした。

この事件で罪に問われたのは、当時29歳だった女性Aさんです。彼女は、14歳という若さから長年にわたり、実の父親から性的虐待(近親姦)を受け続けていました。その結果、望まぬ妊娠と出産(死産・堕胎含む)を5回も強いられるという、想像を絶する苦しみを味わっていました。さらに、彼女の妹も同様の被害に遭っていたのです。

未来に何の希望も見いだせず、父親に対する恐怖と憎しみに苛まれたAさんは、1968年、ついにその手で父親を絞殺してしまいます。

裁判では、Aさんが置かれていた悲惨極まりない状況が詳細に語られました。

  • 第一審の宇都宮地方裁判所は、尊属殺人の罪で起訴されたAさんに対し、犯行時の精神状態が著しく弱っていた(心神耗弱)ことを認め、法律上の減軽を適用し、懲役3年6月という判決を下しました。尊属殺の法定刑(死刑または無期)から考えると、異例とも言える軽い判決でした。
  • しかし、検察側が控訴。第二審の東京高等裁判所は、心神耗弱は認めませんでしたが、第一審より重い刑を科すことはできない(不利益変更禁止の原則)ため、結果として懲役3年6月の刑を維持しました。ただし、東京高裁は、尊属殺重罰規定そのものは憲法に違反しない(合憲)と判断しました。

この高裁判決に対し、Aさんの弁護団は、「尊属殺の法定刑が死刑または無期懲役のみというのは、あまりにも重すぎて不合理であり、日本国憲法第14条第1項が保障する『法の下の平等』に違反する」として、最高裁判所に上告。ついに、尊属殺重罰規定の憲法適合性が、最高裁の大法廷で審理されることになったのです。

最高裁大法廷の歴史的判断(1973年4月4日)

そして迎えた1973年(昭和48年)4月4日。最高裁判所大法廷は、日本の司法史に残る重要な判断を下しました。15人の裁判官による審理の結果、多数意見(8名)は以下のように結論付けました。

【結論】

刑法第200条(尊属殺人罪の規定)は、憲法第14条第1項に違反し、無効(違憲)である!

【理由の要旨】

  1. 尊属(親や祖父母など)を敬い、大切にすることは、社会の基本的な道徳であり、これを法律が保護しようとすること自体は、不合理とは言えない。 そのため、尊属に対する殺人罪を、通常の殺人罪よりも重く罰する類型(加重類型)を設けること自体が、ただちに憲法違反になるわけではない。
  2. しかし、問題はその「重さの程度」である。 刑法第200条が定める法定刑(死刑または無期懲役のみ)は、通常の殺人罪(死刑、無期懲役、または3年以上の懲役)と比べて、あまりにも刑罰の種類と重さに極端な差がありすぎる。
  3. 特に、この規定の下では、たとえ裁判官が被告人の事情を最大限に考慮して法律上の減軽(酌量減軽)を行っても、刑の執行猶予(刑法第25条)を付けることが、法律の規定上不可能になってしまう。
  4. 尊属殺と一口に言っても、その動機や背景は千差万別である。中には、今回の事件の被告人のように、犯行に至る経緯に非常に同情すべき点が多く、酌むべき事情が極めて大きいケースも存在するはずだ。
  5. そのような場合においてさえ、裁判官に死刑か無期懲役(またはその減軽刑で、執行猶予の付けられない実刑)しか選択肢を与えないというのは、立法目的(尊属への敬愛という道徳の維持)を達成するための手段として、著しく不合理な、過剰な制裁である。
  6. したがって、刑法第200条の規定は、合理的な理由のない差別的な取り扱いであり、日本国憲法第14条第1項が保障する「法の下の平等」の原則に違反し、無効である。

この違憲判決に基づき、最高裁はAさんに対する二審判決を破棄しました。そして、Aさんの行為については、通常の殺人罪(刑法199条)を適用して改めて刑を判断すべきとしました。(最終的には、最高裁自身が再審理を行い、Aさんの境遇に最大限の配慮を示し、懲役2年6月、執行猶予3年という判決を言い渡しました。)

判決が社会に与えた影響

この「尊属殺重罰規定違憲判決」は、日本の社会と法制度に大きな影響を与えました。

  • 法律(刑法の条文)そのものを最高裁が違憲・無効とした、数少ない非常に重要な判例となりました。これは、立法府(国会)が作った法律であっても、憲法に違反する場合は司法府(裁判所)が無効と判断できる、という司法権の独立と違憲審査権の重要性を示すものです。
  • 法の下の平等」(憲法14条)という基本的人権の原則が、具体的にどのような意味を持つのかを示す重要な基準となりました。たとえ法律を作る目的(立法目的)が正当であったとしても、その目的を達成するための手段(今回の場合は刑罰の重さ)が、目的との間で著しくバランスを欠き、不合理なほど過酷な場合は、平等原則に反して許されない、ということを明確にしたのです。
  • この最高裁判決を受け、刑法第200条(尊属殺人罪) および、関連する第205条第2項(尊属傷害致死罪=尊属を殴るなどして死なせてしまった場合) の規定は、長らく法律としては存在しつつも事実上使われない状態(死文化)が続いていましたが、1995年(平成7年)の刑法改正(表記のひらがな化・カタカナ→ひらがな、文語体→口語体への改正)の際に、正式に法律から削除されました。これにより、「尊属殺」という特別な罪名は、日本の刑法から姿を消したのです。(ただし、現在でも、殺人事件の裁判において、犯行の動機として「親を敬う気持ちに反する」といった要素が、刑の重さを決める上での様々な事情の一つとして考慮されることはあります。)
  • また、この判決の背景にあった事件が、長年にわたる父親からの性的虐待という悲劇であったことから、家庭内における暴力や児童虐待、近親姦といった深刻な問題に対する社会的な認識を高め、被害者の人権保護や、刑罰はどうあるべきかについて、改めて深く考えるきっかけを与えました。

まとめ:法と道徳、そして平等

1973年4月4日に下された尊属殺重罰規定違憲判決は、単なる法律論にとどまらず、社会のあり方や人々の価値観にも大きな問いを投げかけた、日本の司法史における重要な転換点でした。

法律は、その時代の社会の道徳観や倫理観を反映することがあります。しかし、その道徳観に基づいて作られた法律や制度もまた、憲法がすべての人に保障する基本的人権、特に「法の下の平等」という普遍的な原則によって、常に厳しくチェックされなければならない――この判決は、そのことを私たちに強く示しています。

今日という日に、この判決が下されるに至った背景と、最高裁判所の判断が持つ意味について思いを馳せることは、現代社会における「法」「道徳」「人権」そして「平等」の関係を改めて見つめ直す上で、きっと意義深いことでしょう。

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