- 今では私たちの生活に欠かせない「セブン-イレブン」ですが、その日本における第1号店がオープンしたのが、1974年(昭和49年)の今日、5月15日でした。場所は東京都江東区豊洲です。
- セブン-イレブンの発祥はアメリカ。1927年にテキサス州の氷販売店が、お客さんの要望でパンや牛乳などを置き始めたのが始まりで、当初は「トーテム・ストア」という名前でした。1946年に、朝7時から夜11時までの長い営業時間をアピールして「7-Eleven」に改名しました。
- 日本へは、1973年にイトーヨーカ堂(当時の鈴木敏文氏が中心)がアメリカの運営会社とライセンス契約を結んで導入。しかし、単にアメリカの模倣をするのではなく、日本独自のきめ細かい商品開発(おにぎり、弁当など)、情報システム(POSシステム)、店舗戦略(ドミナント出店)、そして多様なサービス(公共料金支払い、ATMなど)を次々と打ち出し、日本のコンビニ文化を創り上げ、大きく成長させました。
- 1990年代には経営不振に陥ったアメリカの本家セブン-イレブンを、日本のセブン-イレブンが救済・買収するという「日米逆転」が起こりました。現在、セブン-イレブンは世界最大のコンビニエンスストアチェーンの一つとして、日本発のノウハウも活かしながらグローバルに展開しています。
朝、出勤前の一杯のコーヒーと朝食。昼食時のお弁当やおにぎり。夕食後、ちょっと小腹が空いた時のスイーツ。急な雨の日の傘。ATMでお金をおろしたり、宅配便を送ったり……。
私たちの日常生活の、本当に様々な場面で「あって当たり前」の便利な存在となっているのが、コンビニエンスストアですよね。そして、その代表格と言えば、やはりあの緑と赤とオレンジのストライプでお馴染みの「セブン-イレブン」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
実は、このセブン-イレブンが、日本に初めて登場した記念すべき日が、1974年(昭和49年)の今日、5月15日なのです!
セブン-イレブンのルーツは意外にもアメリカにありますが、日本で独自の進化を遂げ、今や世界を代表するコンビニチェーンへと成長しました。今回は、私たちの最も身近なお店の一つ、「セブン-イレブン」の、アメリカでの誕生から、日本での1号店開店、そして世界へと羽ばたいていった、興味深い歴史と成功の秘密を紐解いてみましょう。
氷屋さんから始まった? アメリカでのセブン-イレブンの意外な誕生
「セブン-イレブン」と聞くと、多くの人が日本の会社だと思っているかもしれませんが、その発祥の地は、実はアメリカ合衆国です。そして、その始まりは、今から約100年も昔の1927年、テキサス州ダラスにあった、一軒の氷の販売店にまで遡ります。
始まりは「氷屋さん」の親切サービス
当時、家庭用の電気冷蔵庫はまだ一般的ではなく、人々は「氷屋さん」で大きな氷の塊を買い、それを使って食品を冷やすのが普通でした。この氷を製造・販売していたのが「サウスランド・アイス社(The Southland Ice Company)」という会社です。 ある時、この会社が運営する氷販売店の一つで、従業員がお客さんからの要望に応えて、氷だけでなく、パンや卵、牛乳、缶詰といった、日常的に必要な食料品を、店の片隅に試しに置き始めたのです。すると、これが「氷を買うついでに、食料品も買えて便利だ!」と、お客さんから大変な好評を博しました。この「お客さんのちょっとした不便を解消する」という発想が、後に世界中に広がるコンビニエンスストア(Convenience store=便利な店)という業態の、まさに原型となったと言われています。
店名は「トーテム・ストア」
サウスランド・アイス社は、この新しい形態の店を本格的に展開し始め、当初は「トーテム・ストア(Tote’m Stores)」という名前で呼ばれていました。「Tote’m」とは、英語の「tote them(それらを持って帰る)」という言葉をもじったもので、「お客さんが欲しい品物を気軽に買って持って帰れる店」という意味合いが込められていました。お店の前には、しばしばアラスカの先住民などが作るような、トーテムポールがシンボルとして立てられていたそうです。
「朝7時から夜11時まで」で「7-Eleven」へ
そして第二次世界大戦が終わり、アメリカ社会が豊かになっていく中で、1946年、これらの店は新しい名前へと生まれ変わります。それは、当時の小売店としては画期的な「朝7時から夜11時まで」という、非常に長い営業時間を、もっと分かりやすくアピールするためでした。そう、これが私たちが今も知る「7-Eleven(セブン-イレブン)」という名前の直接の始まりなのです。 その後、セブン-イレブンは、一部の店舗で24時間営業を始めたり、フランチャイズシステムを導入したりしながら、アメリカ全土へとその店舗網を広げていきました。
日本へ、そして独自の進化:セブン-イレブン・ジャパンの挑戦と1号店誕生
時は流れ、1970年代初頭の日本。当時の日本は高度経済成長期の真っ只中にあり、人々のライフスタイルも多様化し始めていました。しかし、小売業の主力はまだ、百貨店やスーパーマーケット、そして地域に根ざした中小の個人商店であり、現在のような「コンビニエンスストア」という業態は、まだほとんど存在していませんでした。
この新しい時代の変化と、消費者の潜在的なニーズにいち早く注目したのが、当時、大手スーパーマーケット「イトーヨーカ堂」の取締役であった鈴木敏文(すずきとしふみ)氏でした。(鈴木氏は後にイトーヨーカ堂の社長・会長、そしてセブン&アイ・ホールディングスのCEOとして、日本の流通業界に数々の革新をもたらす「カリスマ経営者」となります。)彼は、アメリカで視察したセブン-イレブンのような、小規模で、しかし消費者の利便性を追求した新しいタイプの小売店が、これからの日本社会で必ず成長すると確信し、その日本への導入を決意します。
1973年11月、イトーヨーカ堂は、アメリカのサウスランド社(当時の7-Elevenの運営会社)とライセンス契約を結び、日本でセブン-イレブン事業を展開するための会社「株式会社ヨークセブン」を設立しました。(この会社は、後に「株式会社セブン-イレブン・ジャパン」へと社名を変更します。)
そして、日本におけるコンビニエンスストアの歴史が、まさにここから始まることになります。記念すべき日本のセブン-イレブン第1号店がオープンしたのは、1974年(昭和49年)の今日、5月15日のことでした。その場所は、東京都江東区豊洲。店名は、そのまま「セブン-イレブン豊洲店」でした。この1号店は、もともと「山本茂酒店」という個人経営の酒屋さんだった店舗を改装したもので、オーナーの山本憲司さんが、日本で最初のセブン-イレブンのフランチャイズ加盟店オーナーとなりました。
しかし、日本のセブン-イレブンは、単にアメリカのビジネスモデルや商品をそのまま日本に持ち込んだわけではありませんでした。鈴木敏文氏を中心とする経営陣は、日本の厳しい市場環境と、日本の消費者のきめ細かいニーズを徹底的に分析し、それに合わせて日本独自の、そして極めて革新的なコンビニエンスストアのビジネスモデルを、一から築き上げていく道を選んだのです。これが、日本のセブン-イレブンが、本家アメリカをもしのぐほどの驚異的な成功を収める、最大の要因となりました。
日本のセブン-イレブンが打ち出した、主な独自の戦略や特徴としては、以下のようなものが挙げられます。
ドミナント戦略(地域集中出店)
新しい地域に出店する際に、いきなり広範囲に店舗を分散させるのではなく、まず特定の地域に集中的に店舗をオープンさせる戦略です。これにより、その地域内での物流の効率(配送トラックのルートが短くなるなど)を大幅に高め、店舗運営のサポート体制を強化し、そして何よりも、地域住民に対するブランドの認知度と信頼感を一気に高めることができます。
徹底した情報システムの活用(単品管理)
日本のセブン-イレブンは、小売業において情報システムを本格的に活用した先駆けの一つです。いち早くPOS(販売時点情報管理)システムを全店に導入し、「何という商品が、いつ、どのくらいの価格で、どれだけ売れたか」という詳細な販売データを、リアルタイムで収集・分析しました。そして、このデータに基づいて、どの商品がよく売れる「売れ筋商品」で、どの商品があまり売れない「死に筋商品」なのかを、一品一品(単品)ごとに徹底的に管理する「単品管理」という手法を確立しました。これにより、常に消費者のニーズに合った魅力的な品揃えを維持し、同時に売れ残り(在庫リスク)を最小限に抑えることを可能にしたのです。
日本人の味覚と生活に合わせた商品開発
アメリカのコンビニで売られているような、ホットドッグやスナック菓子だけでは、日本の消費者の心は掴めません。そこで、セブン-イレブン・ジャパンは、日本の食文化とライフスタイルに合わせた、オリジナルの「中食(なかしょく)」商品(家庭外で調理・加工されたものを、家庭や職場などに持ち帰って食べる食事のこと)の開発に、特に力を入れました。 温かいご飯が入ったお弁当、様々な具材が入ったおにぎり、手軽に食べられるサンドイッチやパン、そしてお惣菜など、これらの高品質で美味しいオリジナル商品は大ヒットし、コンビニエンスストアが「単なる雑貨や菓子を売る店」から、「毎日の食事も買える、便利な食の拠点」へと変わる、大きなきっかけを作りました。近年では、さらに高品質なプライベートブランド「セブンプレミアム」も開発し、大きな成功を収めています。
24時間営業の本格的な導入
アメリカのセブン-イレブンでは一部の店舗に限られていた24時間営業を、日本では社会のニーズの高まりと共に積極的に展開し、人々の多様なライフスタイルに対応しました。(※ただし、近年では、深刻な人手不足や、働き方改革の流れの中で、24時間営業のあり方については一部で見直しの議論も出ています。)
「近くて便利」な多様なサービスの拠点へ
日本のセブン-イレブンは、単に商品を売るだけでなく、私たちの生活をより便利にするための、様々なサービスを提供する拠点としての役割も積極的に担うようになりました。 店内にATM(現金自動預け払い機)を設置して銀行の窓口が閉まっている時間でもお金の出し入れができるようにしたり、電気・ガス・水道といった公共料金の支払いを受け付けたり、コンサートやスポーツイベントのチケットを発券したり、宅配便の荷物の発送・受け取りを行ったり……。これらの多様なサービスは、セブン-イレブンを、地域の人々にとって「なくてはならない生活インフラ」の一つへと進化させたのです。
日本型のフランチャイズ・システムの確立
アメリカから導入したフランチャイズ・システムも、そのままでは日本の商慣習や経営環境には合わない部分がありました。そこで、セブン-イレブン・ジャパンは、加盟店のオーナーと本部が、互いに協力し、情報を共有し、共に成長していけるような、日本独自のきめ細かいフランチャイズ・システムを築き上げていきました。
・・・
これらの革新的な取り組みによって、日本のセブン-イレブンは、消費者の圧倒的な支持を得て、店舗数を急速に増やし、日本の小売業界における確固たる地位を築き上げていったのです。
本家を救済? 日米逆転の歴史ドラマ
日本のセブン-イレブンが、このように独自の戦略で目覚ましい成長を遂げ、日本のコンビニ文化を牽引していく一方で、意外なことに、その発祥の地であるアメリカのセブン-イレブン(当時の運営会社はサウスランド社)は、1980年代に入ると、多角化経営の失敗や、LBO(レバレッジド・バイアウト、借入金による企業買収)に伴う多額の負債などにより、深刻な経営不振に陥ってしまいます。
そして、この経営危機にあったアメリカの本家を救う形で、ビジネスの世界でも稀な「日米逆転」とも言える、ドラマチックな出来事が起こりました。1991年、当時すでに日本国内でコンビニ業界のトップ企業として圧倒的な成功を収めていたイトーヨーカ堂とセブン-イレブン・ジャパンが、経営再建中であったアメリカのサウスランド社(この時、会社名も「7-Eleven, Inc.」へと変更されました)の株式の過半数(約70%)を取得したのです。
これは、事実上、日本の「弟子」であったセブン-イレブンが、アメリカの「本家」を救済し、その経営権を握るという、歴史的な出来事でした。かつてアメリカからビジネスモデルを学んだ側が、今度はその本家を助け、再建を主導する立場になったのです。
その後、2005年には、イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、そしてデニーズ・ジャパンなどを傘下に持つ、日本の巨大な小売グループ「株式会社セブン&アイ・ホールディングス」が設立されました。そして、アメリカの7-Eleven, Inc.も、このセブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となり、日本の経営手法や商品開発ノウハウなどが、アメリカの店舗運営にも導入されていくことになりました。
世界のコンビニへ:セブン-イレブンの現在と未来
かつてテキサス州の小さな氷販売店から始まった「セブン-イレブン」の物語は、今や、日本、アメリカはもちろんのこと、カナダ、メキシコ、オーストラリア、そして台湾、韓国、中国、タイといったアジア諸国、さらには北欧やヨーロッパの一部の国々など、世界19の国と地域に、合計で8万5千店以上(2023年末時点のセブン&アイ・ホールディングス発表による)もの店舗を展開する、文字通り世界最大のコンビニエンスストアチェーンの一つへと成長しました。(※店舗数は常に変動します。)
特に、日本で培われた、顧客のニーズを的確に捉えたきめ細やかな商品開発(高品質なお弁当やおにぎり、淹れたてのコーヒーなど)、高度な情報システムを駆使した効率的な店舗運営、そして地域社会に密着した多様なサービスの提供といったノウハウは、現在、世界各国のセブン-イレブンの運営にも大きな影響を与えています。日本のセブン-イレブンは、世界のコンビニエンスストア業界をリードする存在として、その革新性と高い収益性で、世界中から注目を集めているのです。
もちろん、現代のセブン-イレブンも、他の多くのグローバル企業と同様に、少子高齢化による国内市場の変化、深刻な人手不足の問題、環境問題(プラスチックごみの削減や食品ロスの問題など)、そして地域社会との共存といった、様々な新しい時代の課題に直面しています。しかし、その創業以来の精神である「お客様の便利(Convenience)のために」という理念は、これからも変わることなく、人々の生活スタイルの変化に対応し、社会にとってなくてはならないインフラとして、その役割を果たし続けていくことでしょう。
まとめ:小さな氷屋から、世界を変えたお店へ
1974年の今日、5月15日に、東京・豊洲の一角で産声を上げた、日本のセブン-イレブン第1号店。それから半世紀以上の時を経て、今や、私たちの街のあちこちで、あの馴染み深い「7」と「11」のマークが、24時間、私たちの生活を照らしてくれています。
その物語の始まりは、遠くアメリカのテキサス州にあった、一軒の小さな氷屋さんの、お客さんの「ちょっとした不便を解消したい」という、ささやかな、しかし温かい思いやりでした。そして、そのビジネスの種を日本に持ち帰り、日本の風土と消費者の心を見つめ、独自の革新的なアイデアと不屈の努力によって、世界に誇る「日本のコンビニ文化」へと育て上げた、情熱的な人々がいました。
今日、あなたがセブン-イレブンでおにぎりやお弁当を選ぶとき、あるいは淹れたてのコーヒーを手に取るとき、ATMでお金をおろしたり、公共料金を支払ったり、宅配便を出したりするとき…。ほんの少しだけ、このコンビニエンスストアが歩んできた、アメリカと日本をまたにかけた、壮大で、そしてどこか人間味あふれるサクセスストーリーに、思いを馳せてみるのも面白いかもしれませんね。
※本記事では英語版も参考にしました



コメント