- 「ミロのヴィーナス」は、古代ギリシアのヘレニズム期(紀元前130年~100年頃)に制作されたと考えられる、大理石製の美しい女性像です。一般に愛と美の女神アプロディーテー(ローマ神話のヴィーナス)の像とされています。
- この世界的に有名な彫像が発見されたのが、1820年の今日、4月8日のこと。エーゲ海に浮かぶギリシャのミロス島で、一人の農夫によって偶然見つけられました。
- 最大の特徴であり、魅力ともなっているのが両腕が失われていること。元々どのようなポーズで、何を持っていたのかは今も謎に包まれており、人々の想像力をかき立てます。
- 発見後、いくつかの騒動を経てフランスの所有となり、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されています。「モナ・リザ」「サモトラケのニケ」と並ぶ、同館の最も重要な至宝の一つです。
今日、4月8日は、美術史において非常に重要な日の一つです。なぜなら、世界中で最もよく知られ、最も美しいとされる古代彫刻の一つ、「ミロのヴィーナス(Venus de Milo)」が発見された日だからです。
パリのルーヴル美術館を訪れたことがある人なら、その優雅な姿に心を奪われた経験があるかもしれません。しかし、なぜこの像はこれほどまでに有名なのでしょうか? そして、なぜ両腕がないのでしょうか? その発見の物語から、時代を超えて人々を魅了し続ける秘密に迫ってみましょう。
エーゲ海の奇跡:ミロのヴィーナス発見(1820年4月8日)

物語の舞台は、エーゲ海に浮かぶ美しいギリシャの島、ミロス島。1820年の今日、4月8日、ヨルゴス・ケントロタスという名前の島の農夫が、畑を耕していました。その時、彼の道具が固いものに当たり、掘り起こしてみると、なんとそこには古代の大理石像の上半身が埋まっていたのです。彼はさらにその周辺を掘り進め、像の下半身も見つけ出しました。これが、後に「ミロのヴィーナス」として世界に知られることになる彫像との、運命的な出会いの瞬間でした。
この像は、専門家の鑑定により、古代ギリシア時代の中でもヘレニズム期と呼ばれる、紀元前130年から紀元前100年頃に制作されたものと考えられています。材質は、彫刻に適した良質な大理石として古代から有名だった、近くのパロス島産のものが使われています。高さは約203センチメートルと、ほぼ等身大の堂々たる大きさです。
その優美な姿から、一般的にはギリシャ神話における愛と美の女神アプロディーテー(ローマ神話ではヴィーナスに相当)の像であると広く信じられています。(ただし、海の女神アンフィトリーテーなど、別の女神である可能性を指摘する研究者もいます。)
発見からルーヴルへ:争奪戦と失われた腕
この世紀の発見の知らせは、すぐにミロス島に駐在していたフランス海軍の士官、オリヴィエ・ヴティエの元に届きました。古代美術に造詣が深かった彼は、この像が計り知れない歴史的・芸術的価値を持つことを見抜き、直ちにコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)にいたフランス大使、リヴィエール侯爵に報告しました。
フランス政府はこの貴重な文化遺産を是が非でも手に入れようと考え、リヴィエール侯爵が購入交渉を進めました。しかし、この美しい彫像の所有権を巡っては、発見者である農夫、島の長老たち、そして当時ミロス島を支配していたオスマン帝国の役人、さらには他の国の代理人なども関心を示し、事態は複雑化しました。
伝承として広く語られているのは、像をフランスの船に運び出そうとするフランス側と、それを阻止しようとする地元の人々(あるいはトルコ当局の指示を受けた人々)との間で、激しい争奪戦(乱闘騒ぎ)が起こったという話です。そして、この混乱のさなかに、像のデリケートな部分、特に両腕が破損し、失われてしまったというのです。
しかし、この「失われた腕」の経緯については、実ははっきりとした定説がありません。「発見された時からすでに腕は欠けていた」「腕は本体とは別の場所で見つかったが、重要視されずに放置された」「輸送中の事故で破損した」など、様々な説が唱えられています。真相は歴史の闇の中ですが、いずれにしても、この像は最終的にフランスの所有となり、海を渡ってパリへと運ばれました。
1821年、像はフランス国王ルイ18世に献上され、国王はその価値を認め、ルーヴル美術館に寄贈しました。以来、ミロのヴィーナスはルーヴル美術館の古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門のスターとして、世界中からの訪問者を迎え続けています。
謎多き傑作:失われた腕と作者の謎
ミロのヴィーナスを目の前にしたとき、誰もがまず注目し、そして心を惹かれるのは、失われた両腕ではないでしょうか。この欠損こそが、この像を単なる美しい彫刻以上の、神秘的で想像力をかき立てる存在にしています。
「もし腕があったなら、どのようなポーズをとっていたのだろう?」 「何か物を持っていたのだろうか? それは何だったのだろう?」
こうした疑問に対し、これまで数えきれないほどの推測や復元案が考えられてきました。
- 片方の手で、ギリシャ神話の有名なエピソード「パリスの審判」で得たリンゴを持っていたのではないか?
- 自分の美しさを映す鏡を手にしていたのかもしれない。
- あるいは、戦いの女神としての一面を示す槍や盾を持っていた可能性は?
- 当時の女性の仕事であった糸紡ぎの道具を持っていた姿かもしれない。
- もしかしたら、単独の像ではなく、戦いの神アレス(マルス)など、他の神にもたれかかるような群像の一部だったのかもしれない。
様々な可能性が考えられますが、決定的な証拠はなく、その答えは永遠の謎のままです。この「欠損の美」「未完の魅力」こそが、ミロのヴィーナスを特別な存在にしているのかもしれません。
そして、もう一つの大きな謎が、この傑作を制作した作者についてです。発見された当初、像の近くからは台座の一部も見つかっており、そこにはギリシャ文字で「アンティオキアのアレクサンドロス(またはアゲサンドロス)作」と読める碑文が刻まれていた、と報告されています。アンティオキアはヘレニズム時代にシリア地方で栄えた大都市であり、もしこの碑文が本物なら、作者と制作年代(ヘレニズム期)を知る上で非常に重要な手がかりでした。
ところが、この貴重な台座は、ルーヴル美術館に収蔵された後、いつの間にか行方が分からなくなってしまいました。これについては、「像の価値をより高めるために、ルーヴル美術館が意図的に隠したのではないか」という憶測も囁かれています。なぜなら、当時の美術界では、ヘレニズム期の作品よりも、さらに古い古典期(紀元前5世紀~4世紀、パルテノン神殿などが作られた時代)の作品の方が高く評価される傾向があったからです。ヘレニズム期の作者名が刻まれた台座は、この像を「古典期の傑作」として紹介するには不都合だった、というわけです。真偽は不明ですが、こうした経緯もあり、現在ではミロのヴィーナスの作者は「不詳」とされることが一般的です。
時代を超えた美の象徴
ミロのヴィーナスは、なぜこれほどまでに普遍的な美しさを持つと評価されるのでしょうか? 美術史的に見ると、以下のような特徴が挙げられます。
- 絶妙なプロポーションとポーズ
わずかに腰をひねり、体重を片足にかける「コントラポスト」と呼ばれる立ち方は、人体に自然な動きと優雅なS字曲線を与えています。全体のバランスも非常に調和が取れています。 - 理想と写実の融合
古典期のギリシャ彫刻が持つ理想化された静謐な美しさと、ヘレニズム期に発達した人間的な感情や肉体の柔らかさを感じさせる写実的な表現とが、見事に融合しています。 - 巧みな衣文(えもん)表現
腰から下にまとった布(ヒマティオン)の流れるようなひだの表現は、非常に巧みで、下の身体の存在感や動きをリアルに感じさせます。
ルーヴル美術館で公開されるや否や、ミロのヴィーナスはその美しさで人々を魅了し、たちまち世界的な名声を獲得しました。フランスにとっては、ナポレオン戦争後に返還を余儀なくされた他の古代美術品に代わる、新たな国の宝となり、国威発揚の象徴ともなりました。その姿は、後世の多くの画家や彫刻家にインスピレーションを与え続け、美の理想像、古典美の代名詞として、今もなお世界中の人々に愛されています。
日本との関わりも深く、1964年の東京オリンピック開催を記念して、ミロのヴィーナスが史上初めてルーヴル美術館を出て日本で特別公開された際には、その美しさを一目見ようと連日長蛇の列ができ、空前の「ヴィーナス・ブーム」を巻き起こしたことは、今も語り草となっています。
まとめ:発見された女神、語りかける謎
1820年の今日、4月8日に、エーゲ海の小さな島で偶然発見された一体の大理石像。それは「ミロのヴィーナス」として、200年以上の時を超え、私たちに古代ギリシアの美と謎を語りかけてくれています。
失われた両腕は、何を語り、何をしていたのか。真の作者は誰なのか。多くのミステリーを秘めているからこそ、私たちはこのヴィーナスの前に立つと、古代へのロマンをかき立てられ、その完璧ではないがゆえの、時代を超越した魅力に深く引き込まれてしまうのかもしれません。
今日という「発見の日」に、この美の女神の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。たとえ美術館で実物を見ることができなくても、写真や本を通して、その永遠の魅力に触れることはできるはずです。
※本記事では英語版も参考にしました




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