- 「ニューイングランドの暗黒日(New England’s Dark Day)」とは、1780年の今日、5月19日に、アメリカ北東部のニューイングランド地方(マサチューセッツ州、コネチカット州など)とその周辺地域で、真昼間にも関わらず空が異常に暗くなり、まるで夜のようになってしまったという、歴史上記録されている奇妙な現象です。
- 当時の人々は、この突然の暗闇に大きな恐怖を感じ、「最後の審判の日が来たのではないか」などと宗教的な意味合いで捉え、パニックに陥る人もいました。ロウソクを灯さなければ何も見えないほどの暗さだったと言われています。
- この不可解な暗黒現象の原因は、当時は全く不明でしたが、現代の科学的な研究により、カナダのオンタリオ州などで発生した大規模な森林火災による濃い煙が、上空の風に乗ってニューイングランド地方まで運ばれ、太陽光を遮ったためである、と結論付けられています。霧や雲なども影響した可能性があります。
- この出来事は、当時の人々の世界観や、未知の自然現象に対する反応を示す興味深い歴史的エピソードとして、また、コネチカット州議会でのエイブラハム・ダベンポートの冷静な対応の逸話と共に、後世に語り継がれています。
今から240年以上も昔、アメリカ独立戦争の真っ只中にあった1780年の今日、5月19日。アメリカ大陸の北東部、ニューイングランド地方(現在のマサチューセッツ州、コネチカット州、ロードアイランド州、ニューハンプシャー州、バーモント州、メイン州にあたる地域)で、人々を恐怖と混乱の渦に巻き込む、信じられないような奇妙な自然現象が発生しました。
それは、真昼間であるにも関わらず、空が突然、まるで真夜中のように真っ暗闇に包まれてしまったのです!
当時の人々にとっては、まさに世界の終わりの前触れか、あるいは神の怒りのように感じられたであろう、この「ニューイングランドの暗黒日(New England’s Dark Day)」。一体なぜ、このような不可解な現象が起こったのでしょうか? そして、その暗闇の中で、人々はどのように反応したのでしょうか? 歴史に残る、このミステリアスでドラマチックな一日を振り返ってみましょう。
真昼の闇:何が起こったのか? (1780年5月19日)
1780年の今日、5月19日の朝。ニューイングランド地方の多くの町や村では、人々はいつもと変わらない一日の始まりを迎えるはずでした。アメリカ独立戦争は続いていましたが、この日は特に大きな戦闘の知らせもなく、比較的穏やかな朝だったかもしれません。
しかし、午前9時頃から、空の様子が徐々におかしくなり始めます。太陽は確かに東の空に昇っているはずなのに、その輝きは弱々しく、空全体が奇妙な黄色みがかった、あるいは赤銅色のような不気味な色に変わり、次第に薄暗くなっていきました。
そして、正午(お昼の12時)を迎える頃には、多くの地域で、空はまるで真夜中のように真っ暗闇に閉ざされてしまったのです!
当時の人々が残した日記や手紙、新聞記事などには、その異常な状況が驚きと共に記録されています。
- 真っ昼間であるにも関わらず、ロウソクを灯さなければ、家の中で文字を読むことも、食事をすることも、お互いの顔を見分けることさえもできなかった。
- ニワトリや家畜たちは、夜が来たと勘違いして騒ぎ出したり、早々にねぐらに戻ってしまったりした。野鳥たちも鳴き声を潜めてしまった。
- 川の水面や、雨水を溜めていた桶の水が、黄色っぽく濁り、まるでススのような黒い粒子が浮いていた。
- 空気中には、焦げたような、あるいは硫黄のような、異様な臭いが漂っていた。
この不可解で恐ろしい暗闇は、場所によって数時間程度で解消し始めたところもあれば、一部では翌日の未明近くまで続いたとも言われています。当時の人々にとって、それはまさに世界の秩序が覆るような、恐怖に満ちた体験でした。
恐怖と混乱、そして冷静な判断:当時の人々の反応
科学的な知識がまだ限られていた18世紀の人々にとって、この「真昼の暗黒」という前代未聞の現象は、理解を超えた、極めて不吉で恐ろしい出来事としか受け止められませんでした。
パニックと宗教的な解釈
多くの人々は、この突然の暗闇に大きな恐怖を感じ、パニックに陥りました。そして、これが聖書のヨハネの黙示録などに記されている「最後の審判の日(Day of Judgment)」がついに来たのだ、あるいは神の怒りが天から下されたのだ、と信じ込みました。教会では、多くの人々が集まり、自分たちの罪を悔い改め、世界の終わりを覚悟して、必死に祈りを捧げたと言われています。
日常生活の完全な麻痺
学校は直ちに休校となり、商店は店を早じまいし、農夫たちは畑仕事を中断して家に駆け込みました。人々はロウソクの灯りの下で、不安と恐怖に震えながら、この異様な暗闇が過ぎ去るのを待つしかありませんでした。
エイブラハム・ダベンポートの有名な逸話
この「暗黒日」にまつわるエピソードとして、後世まで語り継がれているのが、コネチカット州議会(当時は「総督と議会(Governor and Council)」と呼ばれていました)で起こった出来事です。
議会が開かれている最中に、空がどんどん暗くなり、議場も真っ暗闇に包まれてしまいました。議員たちは動揺し、
これはただ事ではない。世界の終わりかもしれない。議会を中断して、家に帰って祈りを捧げるべきだ!
という声が次々と上がりました。 しかし、その時、議員の一人であったエイブラハム・ダベンポート大佐は、毅然として立ち上がり、次のように述べたと伝えられています。
The English quote often cited is: “I am against adjournment. The day of judgment is either approaching, or it is not. If it is not, there is no cause for an adjournment; if it is, I choose to be found doing my duty. I wish therefore that candles may be brought.
私は世界の終わりが来たという意見には反対である。しかし、もし仮にそうであったとしても、私は神の御前に、自らの職務を果たしているところを見出されたいと願う。したがって、私は、ロウソクを持ってきて、議事を続けることを提案するものである。
この、混乱と恐怖の中でも、自らの責任と義務を冷静に果たそうとしたダベンポートの言葉と態度は、当時の人々に深い感銘を与え、彼の勇気と理性は、ニューイングランド精神の象徴として、後世まで長く称賛されることになりました。(アメリカの詩人ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアも、この逸話を基にした詩「Abraham Davenport」を書いています。)
暗黒の原因は? 現代科学が解き明かした謎の正体
当時の人々にとっては、超自然的な、あるいは神の意志による現象としか思えなかったこの「ニューイングランドの暗黒日」。しかし、後年の科学者たちは、残された様々な記録や気象データ、そして自然科学の知識を総動員して、その真の原因を解き明かそうと試みてきました。
そして現在、この不可解な暗黒現象の最も有力な原因として考えられているのは、「遠方で発生した大規模な森林火災による、濃い煙の影響」です。
カナダでの大規模な森林火災
当時の気象状況や風向き、そして後の研究(例えば、カナダのオンタリオ州アルゴンキン公園などに残る古木の年輪を分析し、1780年頃に大規模な火災があった痕跡を見つけるなど)から、ニューイングランド地方のはるか西方、カナダのオンタリオ州や、あるいはアメリカ国内の他の地域で、非常に広範囲にわたる大規模な森林火災が発生していた可能性が高い、と考えられています。
災が発生した正確な場所や、その原因(例えば、開拓者たちによる焼き畑農業の火が延焼したものか、あるいは落雷などによる自然発火だったのかなど)については、完全には特定されていませんが、相当な規模の火災であったことは間違いないようです。
煙がニューイングランド地方へ到達
この大規模な森林火災によって発生した、おびただしい量の煙(煤<すす>や灰といった、非常に細かい粒子を大量に含んだもの)が、上空の強い西寄りの風に乗って、何百キロメートルも東へと運ばれ、ついにニューイングランド地方の上空を広範囲にわたって覆ってしまったのです。
太陽光の完全な遮断
この非常に濃い煙の層が、ニューイングランド地方の上空で、まるで巨大な暗幕のように太陽の光を完全に遮断してしまいました。その結果、真昼間であるにも関わらず、地上は夜のような真っ暗闇に包まれてしまった、というわけです。
当時の記録にある、「空が黄色っぽく、あるいは赤銅色に見えた」「焦げたような、あるいは硫黄のような異様な臭いがした」「水面にすすのようなものが浮いていた」といった記述も、この森林火災の煙が原因であるという説を強く裏付けています。
霧や雲の影響も複合的に?
また、当時のニューイングランド地方の気象条件として、濃い霧や低い雲が立ち込めていた、という記録もいくつかあります。これらの霧や雲が、森林火災から流れてきた煙の粒子と混ざり合い、太陽光をさらに効果的に遮断・散乱させたことで、より一層、暗闇の度合いを深刻なものにした可能性も指摘されています。
なぜ当時は原因がわからなかったのか?
現代の私たちからすれば、「遠くの森林火災の煙が原因だったのか」と納得できるかもしれません。しかし、当時の人々にとっては、その原因を知ることは不可能でした。気象衛星もなければ、広範囲の気象情報を瞬時に収集し、共有するような手段もありませんでした。数百キロメートル、あるいは千キロメートル以上も離れたカナダの奥地で、大規模な森林火災が起こっているなどとは、ニューイングランドの人々には知る由もなかったのです。だからこそ、彼らはこの現象を、人知を超えた恐ろしい出来事として受け止めたのでした。
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近年では、当時の樹木の年輪に残された火災の痕跡を分析する「年輪年代学(Dendrochronology)」などの科学的な手法も用いられ、この「大規模森林火災原因説」を支持する証拠が、さらに集まってきています。
歴史に残る「暗黒日」の教訓と意義
ニューイングランドの暗黒日は、そのあまりにも異常な現象と、それが人々に与えた強烈な印象から、多くのアメリカ人の日記や手紙、新聞記事などに詳細に記録されました。(アメリカ独立戦争を指導し、後に初代大統領となるジョージ・ワシントンも、この時期の自身の日記に、異常な天候や大気の混濁について記述を残しています。ただし、彼自身が直接「暗黒日」の最もひどい地域を体験したわけではないようです。)
この歴史的な出来事は、私たちにいくつかの興味深い教訓や、考えるべきテーマを示唆してくれます。
未知の自然現象と人間の心理
科学的な説明ができない、理解を超えた未知の自然現象に直面した時、人間がいかに不安や恐怖を感じ、それを超自然的な力(神の怒りや世界の終わりなど)と結びつけて解釈しようとするか、という、人間の心理の一つのパターンを、この出来事は鮮やかに示しています。
情報の重要性と科学の進歩の有り難さ
もし当時、遠く離れた場所で大規模な森林火災が起こっているという情報が、ニューイングランドの人々に何らかの形で伝わっていたならば、彼らのパニックや恐怖は、少しは和らいでいたかもしれません。現代の私たちが、気象衛星や、広範囲の気象観測網、そしてインターネットを通じた迅速な情報共有、さらには科学的な知識によって、多くの自然現象の原因を理解し、それに対してある程度備えることができるようになったことの有り難さを、この歴史は教えてくれます。
歴史の中のミステリーとしての魅力
原因が現代科学によってほぼ解明されたとはいえ、「ニューイングランドの暗黒日」という言葉の持つミステリアスな響きと、それにまつわる当時の人々の恐怖や混乱、そしてエイブラハム・ダベンポートのような冷静な人物の記憶は、アメリカの歴史、特にニューイングランド地方の歴史における、一種のドラマチックで忘れがたいエピソードとして、今もなお語り継がれています。時には、文学作品や芸術の題材として取り上げられることもあります。
まとめ:空が私たちに教えてくれた、自然の力と人間の想像力
1780年の今日、5月19日に、アメリカ北東部のニューイングランド地方を襲った、原因不明の「暗黒日」。それは、遠く離れた場所で発生した大規模な森林火災という、自然の力が引き起こした、壮大で(そして当時の人々にとっては非常に恐ろしい)環境現象でした。
当時の人々は、その科学的な原因を知る術(すべ)もなく、神の怒りや世界の終わりを本気で恐れましたが、その混乱と恐怖の中にあっても、エイブラハム・ダベンポートのように、自らの理性と責任感を見失わなかった指導者がいたことも、歴史の教訓として記憶されています。
この「ニューイングランドの暗黒日」の物語は、私たちに、自然現象が持つスケールの大きさと、それが人間の社会や心理に与える影響の甚大さ、そして科学的な知識がまだ限られていた時代の人々が、どのように世界を理解し、未知の恐怖と向き合おうとしていたのかを、鮮やかに伝えてくれます。
次にあなたが空を見上げたとき、私たちは当たり前のように降り注ぐ太陽の光を浴びていますが、かつてこの空が、真昼間にも関わらず、理由もわからぬまま真っ暗闇に閉ざされてしまった日があった、という歴史の一コマに、ほんの少し思いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。それは、自然への畏敬の念と、科学の進歩への感謝の気持ちを、私たちに改めて思い出させてくれるかもしれません。
※本記事では英語版も参考にしました



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