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【5月18日】「国」だけど国じゃない?ソマリランド独立再宣言の日

今日は何の日?
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この記事のざっくりまとめ
  • ソマリランド共和国は、アフリカ大陸の北東部「アフリカの角」と呼ばれる地域に位置する、事実上の独立国家です。
  • かつては「イギリス領ソマリランド」としてイギリスの保護領でしたが、1960年に一度独立した後、すぐに南部の旧イタリア領ソマリアと合併して「ソマリア共和国」となりました。
  • しかし、ソマリア国内で独裁政権による弾圧や内戦が激化。その混乱の中、旧イギリス領だった地域の人々は、1991年の今日、5月18日に、ソマリアからの分離独立を再び宣言し、「ソマリランド共和国」の樹立を宣言しました。
  • 独立再宣言以来、ソマリランドは、内戦が続くソマリア本体とは対照的に、比較的平和で安定した状態を維持し、独自の政府、議会、通貨、軍隊を持ち、民主的な選挙も繰り返し実施しています。
  • それにも関わらず、国際社会のほとんどの国は、ソマリランドを正式な独立国家として承認していません(未承認国家)。アフリカ諸国が植民地時代の国境線変更に慎重であることなどが理由とされています。ソマリランドは、今も国際的な承認を求め続けています。

今日、5月18日は、アフリカ大陸の北東部、「アフリカの角」と呼ばれる地域に位置する、少し変わった立場にある「国」にとって、非常に重要な記念日です。その名は、「ソマリランド共和国(Republic of Somaliland)」。

彼らは、独自の政府を持ち、独自の通貨を発行し、独自の軍隊と警察を組織し、そして何よりも、30年以上にわたって自らの力で平和と比較的安定した民主主義を維持してきました。しかし、驚くべきことに、国際社会のほとんどの国々は、ソマリランドを正式な「独立国家」として認めていません。

なぜ彼らは独立を宣言し、そしてなぜ世界は彼らを「国」としてなかなか認めないのでしょうか? 「国とは何か?」という根本的な問いを私たちに投げかける、ソマリランドの物語を、その独立再宣言の日である今日、紐解いてみましょう。

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ソマリランドとは? アフリカの角の「見えない国」

まず、ソマリランドがどこにあるのか、確認しましょう。

ソマリランドの位置。
深緑:支配地域
黄緑:領有を主張しているが、プントランドと係争中
(出典:wikimedia commons

ソマリランド共和国は、アフリカ大陸の北東部、アデン湾に面した、戦略的にも重要な場所に位置しています。西はジブチ、南はエチオピア、そして東はソマリア(より正確には、ソマリア連邦共和国が自国の一部であると主張している地域)と国境を接しています。首都はハルゲイサ(Hargeisa)という都市です。

この地域の歴史を遡ると、19世紀後半から20世紀半ばにかけては、イギリスの保護領「イギリス領ソマリランド(British Somaliland)」として統治されていました。

束の間の独立、そしてソマリアとの「大ソマリア」への統合

第二次世界大戦が終わり、世界的に植民地支配からの独立の気運が高まる中で、アフリカ大陸でも多くの国が次々と独立を果たしていきました。「イギリス領ソマリランド」もその流れに乗り、1960年6月26日、ついに「ソマリランド国(State of Somaliland)」として、イギリスからの完全な独立を達成しました。

しかし、この独立国家としての「ソマリランド国」の歴史は、驚くほど短いものでした。なんと、独立からわずか5日後の1960年7月1日、ソマリランド国は、南に隣接し、それまでイタリアの信託統治領(国連の管理下に置かれていた)であった「イタリア領ソマリア」と合併することを決定し、統一国家「ソマリア共和国」を樹立したのです。

これは、当時、ソマリ人が住む地域(イギリス領、イタリア領、フランス領<現在のジブチ>、エチオピア領、ケニア領に分かれていました)を一つの大きな「ソマリ人の国」に統一しようという、「大ソマリア主義」と呼ばれる民族的な理想と熱情に燃えての、自主的な統合でした。

ソマリア内戦と、独立再宣言への険しい道(1991年5月18日)

しかし、統一ソマリア共和国の未来に託された夢と希望は、残念ながら長続きしませんでした。1969年に軍事クーデターによって実権を握ったシアド・バーレ大統領の下で、ソマリアは次第に独裁色を強め、深刻な経済危機、氏族間の対立の激化、そして人権侵害が横行する国へと変貌していきました。

特に、旧イギリス領ソマリランドであった北部地域に住む人々、その中でも最大の氏族であるイサック氏族は、バーレ政権から厳しい弾圧と、時には虐殺の対象とされました(1980年代後半のハルゲイサやブラオといった都市への無差別爆撃は、「ハルゲイサ・ホロコースト」とも呼ばれ、多くの犠牲者を出しました)。

このようなバーレ政権の圧政に対し、イサック氏族を中心とする反政府武装勢力「ソマリ国民運動」などが各地で蜂起し、ソマリアは1980年代後半から泥沼の内戦状態へと突入していきます。

そして1991年1月、長年にわたる独裁を続けたシアド・バーレ政権は、ついに反政府勢力の攻勢によって崩壊しました。しかし、バーレ政権が倒れた後も、ソマリア全体には平和は訪れませんでした。むしろ、各地で様々な武装勢力(軍閥)が覇権を争い、国はさらなる混乱と無政府状態に陥ってしまったのです。(この混乱は、形を変えながらも現在まで続いており、現在のソマリア連邦共和国も、依然として多くの課題を抱えています。)

このようなソマリア中央政府の崩壊という、絶望的な状況の中で、旧イギリス領ソマリランド地域の長老たちと、SNMの指導者たちは、ブラオという町で大きな会議(国民大会議)を開きました。そして、かつて1960年に一度は放棄した「ソマリランド国」としての独立を回復し、ソマリアからの分離を宣言することを決定したのです。

そして、1991年の今日、5月18日、彼らは「ソマリランド共和国(Republic of Somaliland)」として、ソマリアからの分離独立を一方的に再宣言しました。彼らは、1960年のソマリアとの統合は、結果として北部住民にとって悲劇しかもたらさなかった「失敗」であり、もはやソマリアという破綻国家の一部として留まることはできない、と強く主張したのです。

「事実上の独立国家」ソマリランドの現実:平和と未承認

独立再宣言から30年以上が経過した現在(2025年5月時点)、ソマリランドはどのような状況にあるのでしょうか?

驚くべき平和と安定、そして民主主義

ソマリアの南部や中部(いわゆる「ソマリア本体」)が、その後も長年にわたり、内戦、イスラム過激派のテロ、海賊行為、そして深刻な飢饉といった、終わりの見えない混乱と暴力に苦しみ続けているのとは全く対照的に、ソマリランドは、アフリカの角という非常に不安定な地域において、驚くほど平和で、比較的安定した状態を、自らの力で維持してきました。

  • 彼らは、独自の政府(大統領制)、憲法(国民投票で承認)、議会(二院制)、裁判所、そして独自の軍隊、警察、国境警備隊を持っています。
  • 独自の通貨(ソマリランド・シリング)も発行し、経済活動も行われています。
  • 大統領選挙議会選挙も、いくつかの課題(例えば、選挙の遅延や、氏族間の対立など)を抱えながらも、国際的な監視団が一定の評価をする形で、複数回実施されており、比較的民主的な統治システムを機能させています。
  • 独自の国旗国歌も制定し、国民の間には「ソマリランド人」としてのアイデンティティも確立されています。

しかし、国際社会からは「未承認」のまま

これほどまでに、実質的な国家としての要件(明確な領土、永続的な住民、実効的な政府、他国と関係を取り結ぶ能力)を整え、しかも地域の安定勢力として平和と民主主義を維持しているにも関わらず、ソマリランドは、国際社会のほとんどの国から、独立国家として正式に承認されていません。国連にも加盟できておらず、国際的な地図では、依然として「ソマリアの一部」として扱われています。 なぜなのでしょうか? その主な理由として以下が挙げられます。

  • アフリカ諸国の立場
    アフリカ連合(AU)をはじめとする多くのアフリカ諸国は、植民地時代に人為的に引かれた国境線を変更することに対して、歴史的に非常に慎重な立場をとっています。なぜなら、もし一つの地域の分離独立を安易に認めてしまえば、アフリカ大陸の他の多くの国々でも、同様の民族紛争や分離独立の動きが連鎖的に起こり、「パンドラの箱」を開けてしまうのではないか、という強い懸念があるからです。
  • ソマリア中央政府の反対
    ソマリア連邦共和国(国際的に承認されているソマリアの中央政府、ただしその実効支配力は限定的です)は、当然ながらソマリランドの独立を認めておらず、自国の一部(自治州あるいは連邦構成体)であるという立場を崩していません。
  • 大国や国際機関の慎重な姿勢
    アメリカやヨーロッパの主要国、そして国連などの国際機関も、基本的にはアフリカ連合の意向を尊重し、ソマリア全体の平和と安定、そして領土の一体性を優先する立場から、ソマリランドの国家承認には積極的な姿勢を見せていません。

「未承認国家」としての様々な困難

国際的な承認が得られないため、ソマリランドは、国家運営において多くの現実的な困難に直面しています。

  • 国際的な経済支援の制限
    IMF(国際通貨基金)や世界銀行といった国際金融機関からの直接的な融資や、大規模な開発援助などを受けることができません。
  • 外交関係の制約
    他国との正式な外交関係(大使館の設置など)を結ぶことが難しく、国際社会での発言力も限られています。
  • 国際的な条約や機関への参加の困難
    国際的な貿易協定や、航空・海運に関する国際機関などへの正式な参加が難しく、経済発展の足かせとなることがあります。
    経済は、主に家畜(ラクダ、羊、ヤギなど)の輸出(特にアラブ諸国向け)や、海外で働く多くのソマリランド人からの送金に大きく依存しており、依然として貧しい状況にあります。近年は、戦略的な位置にあるベルベラ港の開発に外国からの投資を呼び込むなど、経済発展への努力も続けられています。

それでも続く、国家承認への粘り強い道

しかし、ソマリランドの人々は、独立への強い意志と、自らが築き上げてきた平和と民主主義への誇りを失ってはいません。彼らは、30年以上にわたる安定した統治の実績と、民主的な選挙の実施、そして地域の平和への貢献を国際社会に粘り強く訴え続け、正式な国家としての承認を求め続けています。

近年では、台湾(中華民国)と、互いに外交関係はないものの、実務的な関係を持つ代表機関を相互に設置したり、エチオピアケニアといった近隣諸国、あるいは一部のヨーロッパの国々とは、非公式ながらも比較的良好な関係を築いたりと、少しずつではありますが、国際的な孤立からの脱却と、認知度向上への努力を続けています。

まとめ:「国」とは何かを問いかける、ソマリランドの存在

1991年の今日、5月18日に、ソマリアからの分離独立を再び高らかに宣言した、ソマリランド共和国。

彼らは、国家としての基本的な要件(明確な領土、永続的な住民、実効的な政府、他国と関係を取り結ぶ能力)を、実質的には十分に満たしているように見えます。そして何よりも、内戦と混乱、テロと海賊行為が今なお続く周辺地域とは全く対照的に、平和と、そして不完全ながらも民主主義的な統治を、30年以上にわたって自らの力で維持してきたという、アフリカの角地域においては稀有(けう)な、そして誇るべき実績を持っています。

しかし、それでもなお、国際社会からの「お墨付き」である国家承認を得ることができずに、「事実上の独立国家」あるいは「未承認国家」という、不安定で困難な立場に置かれ続けています。

ソマリランドの物語は、私たちに「国家とは何か?」「独立とは何を意味するのか?」「国際社会における承認とは、一体誰が、どのような基準で決めるのか?」といった、国際政治における根本的で、そして非常に難しい問いを、その存在そのものをもって投げかけています。

彼らが自らの手で、そして血を流しながらも築き上げてきた平和と民主主義が、いつの日か国際社会に広く認められ、ソマリランドの人々が、真の安定と、国際社会の一員としての繁栄を享受できる日が来ることを、願わずにはいられません。

今日という日に、アフリカの角に存在する、この「見えない国」の存在と、彼らの静かな、しかし力強い、独立と承認への長い道のりに、ほんの少し思いを馳せてみるのはいかがでしょうか。

※本記事では英語版も参考にしました

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