- 「病者の塗油(びょうしゃのとゆ)」は、キリスト教のいくつかの教派で行われている伝統的な儀式です。主に、重い病気や老いによって心身が弱っている信者のために行われます。
- 儀式では、司祭(神父)や牧師などが、祝福された特別な油(聖油、主にオリーブ油)を信者の額や手に塗りながら、神様からの恵み、慰め、力づけ、そして罪の赦しがあるように祈ります。
- 特にカトリック教会や正教会では、洗礼や聖餐(ミサ)などと並ぶ重要な「サクラメント(秘跡・機密)」の一つとされています。聖公会や一部のプロテスタント教会でも、癒やしや慰めのための大切な儀式として行われることがあります。
- かつては「終油の秘跡」と呼ばれ、「死ぬ直前の最後の儀式」というイメージが強かった時代もありましたが、現在ではその理解は改められています。死の間際だけでなく、重い病気を患った時、大きな手術を受ける前、あるいは老齢による衰えを感じる時など、困難な状況にある信者を霊的に支え、強めるための儀式として、必要であれば繰り返し受けることができます。
人生において、誰もが病気になったり、怪我をしたり、あるいは年齢を重ねて心身の衰えを感じたりすることがあります。そんな時、人は医療による治療を求めると同時に、心の平安や慰め、そして回復への希望を、しばしば信仰の中に見いだそうとします。
キリスト教には、まさにそうした病や老いという困難な状況に置かれた信者のために特別に行われる、古くからの祈りの儀式が存在します。それが「病者の塗油(びょうしゃのとゆ / Anointing of the Sick)」と呼ばれるものです。
この儀式は一体どのようなもので、キリスト教徒にとってどのような意味を持つのでしょうか? そのルーツや、宗派による考え方の違い、そしてしばしば誤解されがちな点も含めて、わかりやすく解説していきましょう。
病者の塗油とは?基本的な意味

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン画
「病者の塗油」は、その名の通り、病気の人に油を塗る儀式が中心となります。具体的には、キリスト教会の司祭(カトリック教会や正教会、聖公会などでの神父)や牧師(プロテスタント教会など)が、重い病気や怪我、あるいは老齢によって著しく心身が衰弱している信者を訪ね、その人のために祈りを捧げます。
そして、儀式の核心部分として、祝福された特別な油(聖油 / Holy Oil)、通常はオリーブ油が用いられますが、これを病者の額と両方の手のひらに(場合によっては体の他の部分や患部に塗ることもあります)塗ります。油を塗りながら、司式者は定められた祈りの言葉を唱え、神様からの特別な恵みが、その病者に注がれるように祈願します。
この儀式の目的は、単に「病気が奇跡的に治りますように」と願うことだけではありません。もちろん、神様の御心であれば肉体的な健康の回復も祈願されますが、それ以上に重視されるのは、霊的な側面での支えです。
- 病や苦しみの中で弱くなりがちな信仰を強め、希望を与えること。
- 不安や恐れを取り除き、心の平安と慰めをもたらすこと。
- 困難に立ち向かうための聖霊の力と勇気を与えること。
- (特にカトリックや正教会では)罪の赦しを与えること。
- キリスト自身の受難(苦しみ)と、病者の苦しみを信仰のうちに結びつける助けとなること。
- 死を前にしている場合には、キリスト者としての最後の戦い(信仰の完成)への準備を助けること。
このように、病者の塗油は、困難な状況にある信者の心と魂に寄り添い、神の恵みによって支え、強めることを目的とした、深い意味を持つ祈りの儀式なのです。
聖書に見るルーツ:なぜ油を塗るのか?
病人に油を塗って祈る、という習慣は、キリスト教の非常に古い起源にまで遡ることができます。新約聖書の中にも、その実践をうかがわせる記述がいくつか存在します。
マルコによる福音書(6章13節)には、イエス・キリストから遣わされた12人の弟子たちが、人々を教え導きながら旅をした際に、「悪霊を追い出し、多くの病人にオリーブ油を塗って癒やした」と記されています。古代オリエント世界では、オリーブ油は食用や灯火用だけでなく、薬としても広く用いられており、体に塗ることで清めや力づけの効果があると信じられていました。弟子たちは、この油を、神の癒やしの力を伴うしるしとして用いたのかもしれません。
この儀式の神学的な根拠として、特にカトリック教会や正教会で伝統的に重要視されてきたのが、新約聖書の後半にある「ヤコブの手紙」の記述(5章14節~15節)です。
あなたがたの中で病気の者は、教会の長老たち(presbyters, 後の司祭や牧師にあたる指導者)を招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。 信仰による祈りは、病む人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。
この聖書の言葉は、初代教会(キリスト教の始まりの時代の教会)において、病者のために共同体の指導者が集まり、油を塗って祈るという習慣がすでに行われていたことを示唆しています。キリスト教会は、この聖書の教えに基づき、病者の塗油の儀式を、神の恵みを伝える特別な方法として、大切に守り伝えてきたのです。儀式で使われる「油」は、聖霊の働き、癒やし、慰め、そして強さの象徴(シンボル)として理解されています。
宗派による違い:サクラメントか、儀式か?
キリスト教は、長い歴史の中で様々な教派に分かれてきました。そのため、「病者の塗油」の扱いやその重要性についての考え方も、教派によって少しずつ異なっています。
カトリック教会
カトリック教会では、「病者の塗油」は、洗礼、堅信、聖体(ミサにおけるパンとぶどう酒)、ゆるし(告解)、婚姻、叙階(司祭などを任命する)と並ぶ「七つの秘跡(サクラメント)」の一つとして、非常に重要な位置づけにあります。秘跡とは、キリストによって定められ、目に見えない神の恵みを目に見えるしるし(儀式)を通して与える、特別な手段であると信じられています。病者の塗油は、司祭(または司教)だけが執り行うことができ、聖霊の特別な恵みによって病者を霊的に強め、慰め、罪を赦し、神との交わりへと導く、救いのための重要な秘跡とされています。
正教会(ギリシャ正教、ロシア正教など)
正教会では、「聖傅機密(せいふきみつ / Holy Unction)」と呼ばれ、これも洗礼や聖体などと並ぶ七つの機密(ミスティリオン、カトリックの秘跡に相当)の一つです。病者の霊(プネウマ)、魂(プシケー)、体(ソーマ)という全人的な癒やしと、罪の赦しを祈願します。伝統的には、福音書にある「七人の弟子」にちなんで、七人の司祭が共同で祈りを行うのが最も正式な形とされますが、現実には一人の司祭によって行われることも多くあります。死に瀕している人だけでなく、広く病に苦しむ信者のために行われ、また、年に一度、聖大週間(復活祭前の週)の水曜日または木曜日に、希望する信者全体のために集団で行われる習慣もあります。
聖公会(アングリカン・コミュニオン)
聖公会では、「病人のための按手(あんしゅ、病人の頭や体に手を置くこと)および塗油」と呼ばれます。その位置づけは、カトリックや正教会ほど厳密な「七つの秘跡/機密」という捉え方ではなく、洗礼と聖餐(聖体拝領)を二つの主要なサクラメント(聖奠)としつつ、病者の塗油はそれに準ずる「聖なる働き(Sacramental Ministries)」の一つ、あるいは公祷書(祈祷書)に定められた重要な儀式として行われます。目的は、カトリックや正教会と同様に、肉体的、精神的、霊的な癒やしと慰め、神の恵みを祈願することにあります。通常は司祭によって執り行われます。
プロテスタント諸教会
プロテスタント教会の中では、その考え方や実践は教派によって大きく異なります。宗教改革の際に、カトリックの七つの秘跡のうち、聖書に明確な制定の言葉があるとされる洗礼と聖餐(聖体拝領)以外のもののサクラメント性を否定した流れを汲む教会が多いからです。
ルター派やメソジスト派など一部の教派では、病者の塗油をサクラメントとは考えないものの、病者のための祈りや按手(手を置くこと)と共に、祝福された(あるいは必ずしも聖別されていない)油を用いることを、牧師の判断や教会の伝統として認めている、あるいは実践している場合があります。あくまで、聖書(特にヤコブの手紙)に基づいた、癒やしと慰めを願う pastoral なケアの一環として捉えられています。
ペンテコステ派やカリスマ派など、聖霊による直接的な癒やしや奇跡を強調するグループでは、按手と塗油が信仰的な癒やしのための重要な実践として、しばしば積極的に行われます。
一方で、改革派(長老派など)やバプテストなど、多くのプロテスタント教会では、洗礼と聖餐以外の儀式にサクラメント的な意味合いを認めることに慎重であり、「病者の塗油」という特定の儀式を行わないことが一般的です。病者のためには、按手や言葉による祈りをもって支える、という形をとることが多いでしょう。
誤解しないで!「終油の秘跡」からの変化
「病者の塗油」について、特にカトリック圏の文化に触れたことがある方は、「あれは死ぬ間際にするものでは?」というイメージを持っているかもしれません。確かに、かつてカトリック教会では、この秘跡は「終油の秘跡(しゅうゆのひせき / ラテン語: Extrema Unctio / 英語: Extreme Unction)」と呼ばれていました。「終油」とは文字通り「最後の塗油」という意味であり、その名称が示すように、信者が臨終を迎える間際、つまり死が目前に迫った時に受ける、文字通り最後の秘跡である、という理解が一般的に広まっていました。
そのため、「終油を受けたら、もうこの人は助からないんだ…」といった、ある種の絶望感やタブー視につながるような誤解も生じやすく、人々がこの秘跡を受けることをためらってしまう、といった状況もありました。
しかし、カトリック教会は、20世紀半ばに行われた大きな教会改革である「第2バチカン公会議」(1962年~1965年)において、この秘跡の本来の意味を再確認し、その名称も現在の「病者の塗油(Anointing of the Sick)」へと正式に改めました。
これにより、この秘跡は、
単に「死にゆく人のための最後の準備」ではなく、重い病気や、大きな手術、あるいは老齢による著しい心身の衰えといった、人生における深刻な困難に直面している信者が、その苦しみを乗り越え、信仰のうちに希望を見いだすための、神様からの特別な助けと恵みを願って受けることができる、力づけと癒やしの秘跡である
という理解が、公式に示されました。
したがって、現在では、死が間近に迫っているかどうかに関わらず、例えば、
- 大きな手術を受ける前
- 重い病気(がん、心臓病など)と診断されたり、その症状が悪化したりした時
- 高齢のために体力が著しく衰え、精神的にも弱っていると感じる時
など、信者本人や家族が必要と感じた時に、この秘跡を受けることができます。また、一度受けた後でも、病状が再び悪化したり、回復後に別の重い病気にかかったりした場合には、繰り返し受けることも可能です。
まとめ:苦しみに寄り添う祈り
キリスト教における「病者の塗油」は、人間が避けられない病や老い、そしてそれに伴う苦しみや不安に、信仰を通して向き合い、乗り越えていくための、古くから大切に受け継がれてきた祈りの儀式です。
祝福された油という目に見えるしるしを通して、目には見えない神の恵み、聖霊の力、キリストの癒やしと慰めが、病床にある人に注がれるように祈ります。それは、苦しみの中にいる人が決して孤独ではなく、神によって愛され、そして教会という信仰共同体の一員として支えられていることを思い起こさせる、深い意味を持つ営みと言えるでしょう。
この儀式は、必ずしも奇跡的な肉体の回復を約束するものではありません。しかし、それ以上に、病や苦しみという困難な現実と向き合うための内面的な強さ、心の平安、そして神への揺るぎない信頼を与え、信者がその試練の時を信仰のうちに歩んでいくための、かけがえのない霊的な支えとなることを目指しているのです。
※本記事では英語版も参考にしました




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