- 「クリュシッポス(Chrysippus)」は、紀元前3世紀に活躍した古代ギリシャの哲学者です。
- 現在でもビジネスパーソンなどに人気の高い「ストア派」の第3代学頭であり、「彼がいなければストア派は存在しなかった」と言われるほど、極めて重要な功績を残した天才論理学者です。
- しかし、彼が後世に名を残している最大の理由は、その偉大な思想よりも「歴史上最も奇妙な死に方」をしたことです。
- 彼は73歳の時、「自分の庭のイチジクを勝手に食べているロバを見て、自分で放った冗談がツボに入り、大爆笑したまま『笑い死に』してしまった」と伝えられています。
- 哲学史に燦然と輝く天才の最期が「自分のギャグでの笑い死に」という、そのあまりのギャップから、歴史上の奇妙な死の代表例として現在でも語り継がれています。
人間、誰しも最期は安らかに、あるいは尊厳を持って迎えたいと願うものです。歴史に名を残す偉人たちも、戦場で華々しく散ったり、病の床で弟子たちに崇高な遺言を残したりと、ドラマチックな最期を遂げています。
しかし、古代ギリシャには、その素晴らしい頭脳で哲学の歴史に多大な貢献をしながら、「自分の放ったしょうもない冗談で大爆笑し、そのまま息を引き取った」という、コントのような死に様で歴史に名を刻んでしまった哲学者がいます。
彼の名前はクリュシッポス。今回は、知の巨人でありながら笑いに殺された男、クリュシッポスの偉大すぎる功績と、くだらなすぎる最期の伝説についてご紹介します。
実はアリストテレスに並ぶ「論理学の天才」
死因の話の前に、彼がいかに「すごい人物」だったかを説明しておかなければなりません。ただの愉快なおじいさんではないのです。
クリュシッポス(紀元前280年頃 – 紀元前206年頃)は、現代でも「困難に動じない心を作る哲学」としてシリコンバレーの起業家たちに大流行している「ストア派」の第3代学頭(リーダー)を務めた人物です。
彼は非常に頭の回転が速く、多作な作家でした。なんと生涯に700巻以上もの著作を残したと言われています(残念ながらそのほとんどは散逸し、断片しか残っていません)。彼はストア派の教義を論理的に体系化し、強固な基盤を作り上げました。特に彼が整備した「命題論理学」は、あのアリストテレスの論理学と並び称されるほど高度なものでした。
当時の人々は、彼の並外れた知性を称えて「クリュシッポスなくしてストア派なし」と語り継ぎました。まさに、古代ギリシャの学問の頂点に立つ、超一流のインテリだったのです。
運命の日:ロバとイチジクとワイン

1606年の版画。
そんな偉大なる哲学者クリュシッポスが73歳になったある日。彼は、自分の家の庭(あるいは宴会の席)で、一匹のロバがうろついているのを見かけました。
ロバは、クリュシッポスの庭に実っていた(あるいはカゴに盛られていた)高級な「イチジク」に目をつけ、バクバクと勝手に食べ始めました。現代の私たちなら「あーっ!俺のイチジクが!」と怒って追い払うところですが、そこは偉大な哲学者。彼はその滑稽な光景をじっと観察していました。
そして、ロバがイチジクを美味しそうに平らげるのを見たクリュシッポスは、側にいた老婆(あるいは召使い)に向かって、こんな「渾身の冗談」を放ちました。
おい!ロバのやつがイチジクを喉に詰まらせないように、食後に(ストレートの)極上ワインを飲ませてやれ!
古代ギリシャでは、人間はワインを水で割って飲むのが常識であり、原酒(ストレート)のまま飲むのは野蛮な行為とされていました。ましてや、それを家畜のロバに飲ませるなど、あり得ない発想です。「高価なイチジクを食う生意気なロバに、いっそ最高級のワインをストレートで飲ませてやれ」という、状況のバカバカしさを突いたブラックジョークだったのでしょう。
そして「笑い死に」へ
この冗談、現代の私たちの感覚からすると「何言ってんだ」と鼻で笑う程度の面白さかもしれません。しかし、思いついたクリュシッポス本人のツボには、なぜかこれがクリティカルヒット(大爆笑)してしまったのです。
ロバにワインを!ははは!ひーっ、お腹痛い!
自分の冗談が面白すぎて、彼は腹を抱えて笑い転げました。笑いは一向に収まらず、ついに彼は呼吸困難(あるいは心不全や発作)に陥り、大爆笑したまま本当に死んでしまったのです。
古代の伝記作家ディオゲネス・ラエルティオスは、著書『ギリシア哲学者列伝』の中で、彼の死因をはっきりとこの「笑い死に」として記録しています。
医学的に「笑い死に」が起こることは極めて稀ですが、極度の笑いによる窒息、心停止、あるいは脳卒中などが原因で亡くなるケースは歴史上いくつか報告されています。73歳という高齢だったクリュシッポスの体には、大爆笑の衝撃が強すぎたのかもしれません。
※ちなみに、同じ伝記の中には「宴会でストレートのワインをがぶ飲みしすぎて、アルコール中毒(またはめまい)で死んだ」という、もう一つの身も蓋もない死因説も記載されています。どちらにせよ、あまり哲学者らしい死に方ではありません。
まとめ:笑いは偉大なり
「感情に支配されず、理性を重んじる」のがストア派の教えです。そのストア派のトップに立つ天才論理学者が、よりによって「自分のギャグへの爆笑(感情の爆発)」によって命を落としたという事実は、なんとも皮肉で、そして強烈な人間臭さを感じさせます。
私たちは偉人の伝記を読むとき、どうしても彼らを「完璧で隙のない雲の上の存在」として神格化してしまいがちです。しかし、どんなに頭が良くて歴史に名を残す天才であっても、ロバの食事風景を見てしょうもない冗談を言い、それに自分で爆笑してしまうような「ただのおじいさん」の一面を持っていたのです。
「クリュシッポスなくしてストア派なし」。彼の残した難解な論理学の書物はほとんど失われてしまいましたが、彼が文字通り命を懸けて教えてくれた「どんな時でも笑いを忘れない」というユーモアの精神は、最強のストア派哲学として、今も私たちの心をクスッと和ませてくれています。
【参考リンク】
クリュシッポス – Wikipedia
※本記事では英語版も参考にしました




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