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【狂気の万能薬?】瀉血:「血を抜けば治る」? 2000年以上も世界中で信じられていた恐ろしい医学の常識

科学
この記事のざっくりまとめ
  • 瀉血(しゃけつ)」とは、患者の体から血を抜き取ることで、病気を治療したり健康を維持しようとする医療行為のことです。
  • 古代エジプトやギリシャ時代に始まり、なんと19世紀後半に至るまで、約2000年以上にわたって西洋医学における「最も一般的で基本的な治療法」として世界中で広く行われていました
  • その根拠となったのは、古代ギリシャのヒポクラテスらが提唱した「四体液説」です。「人間の体液のバランスが崩れると病気になり、悪い血が溜まっているから、それを抜けば治る」と本気で信じられていました。
  • 風邪からペスト、さらには骨折や精神疾患に至るまで、「とりあえず血を抜く(しかも大量に)」のが常識であり、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンも、過度な瀉血が原因で命を落としたと言われています。
  • 19世紀に統計学を用いた研究(疫学)が発達し、「血を抜いた方がむしろ死亡率が高い」ことが証明されたことで、ようやくこの恐ろしい治療法は歴史から姿を消しました

現代の私たちが病院に行って「熱が出て、咳が止まらないんです」と医師に伝えたとしましょう。

もしそこで医師が、「なるほど。それではまず、あなたの腕の血管を切って、ボウル一杯分の血を抜きましょう」と言い出したら、あなたはどうしますか?おそらく、狂気を感じてすぐさま逃げ出すはずです。

しかし、信じられないかもしれませんが、ほんの100年ちょっと前まで、この「血を抜く」という行為は、世界中で最も信頼され、最も頻繁に行われていた「最先端の医療」だったのです。

この治療法は「瀉血(しゃけつ)」と呼ばれます。なぜ、人類は2000年もの長きにわたり、自らの身体から大量の血を抜き続けるという自傷行為のような治療法を、「万能薬」として信じ込んでいたのでしょうか?

今回は、医学の歴史に横たわる最大のミステリーにして、最大の悲劇でもある「瀉血の歴史」について詳しく紐解いていきます。

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病気の原因は「体液の乱れ」? 古代の医学理論

瀉血の歴史は非常に古く、古代エジプト(紀元前1500年頃のパピルスに記述があると言われています)にまで遡ります。しかし、これを医学的な「理論」として体系化したのは、古代ギリシャの偉大な医師たちでした。

「医学の父」と呼ばれるヒポクラテス、そしてローマ帝国時代の医師ガレノスは、「四体液説」という考え方を提唱しました。これは、

人間の身体は「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」という4つの液体で構成されており、このバランスが保たれている状態が健康であり、バランスが崩れると病気になる

という理論です。

彼らは、発熱や炎症などの病気は「血液が多すぎること(あるいは特定の場所に悪い血が溜まっていること)」によって引き起こされると考えました。また、女性の月経が自然な「デトックス(悪いものを排出する機能)」に見えたことも、この考えを補強したと言われています。

こうして、「余分な血や淀んだ血を体外に排出すれば、体液のバランスが整って病気が治る」という、当時としては極めて論理的で画期的な医学理論が誕生し、ヨーロッパ中に広まっていきました。

理髪店で血を抜く? 中世の瀉血ブーム

中世ヨーロッパに入ると、瀉血はもはや「病気の治療」の枠を超え、健康維持や予防のための「日常的な習慣」にまでなりました。

春になったら悪い血を抜いてスッキリしよう」といった感覚で、健康な人までがこぞって血を抜いていたのです。修道院では、修道士たちが定期的にお互いの血を抜き合うことが義務付けられていたほどでした。

興味深いのは、血を抜く「実行役」です。当時の医師(内科医)は学問を重んじるエリートであり、直接患者の体を傷つけるような血生臭い作業を嫌いました。そこで、刃物を扱うプロフェッショナルである「理髪師(床屋)」が、外科手術や瀉血を代行するようになったのです。これを「理髪外科医」と呼びます。

現在でも、日本の理容室(床屋)の店先でクルクルと回っている赤・白・青のサインポール(有髪店を示す看板)がありますが、あの赤は「動脈(血)」、青は「静脈」、白は「包帯」を表しており、彼らがかつて外科医として瀉血を行っていた名残だと言われています。

道具とヒル:いかにして血を抜いたか

瀉血の方法は、決して生易しいものではありませんでした。

  • 静脈切開
    最も一般的な方法です。ランセット(両刃の小さなメス)や、バネ仕掛けで一瞬にして血管を切り裂く専用の器具(フリームなど)を使って、主に腕や首の静脈を切りつけ、ボウルに血を滴らせました。
  • 乱刺法と吸角
    皮膚に無数の浅い傷をつけ、その上にガラスのカップを乗せて中を真空状態(または加熱して空気を抜く)にし、傷口から血を吸い出す方法です。
  • ヒルの使用
    血を吸う「医療用ヒル」を、痛む患部や炎症を起こしている場所に直接貼り付けて血を吸わせる方法です。

19世紀前半のフランスでは、この「ヒルによる瀉血」が空前の大ブームとなりました。医師たちがこぞってヒルを処方したため、フランス国内のヒルが絶滅の危機に瀕し、ヨーロッパ中から年間数千万匹ものヒルが輸入されるという異常事態にまで発展しました。

ジョージ・ワシントンを殺した「英雄的医療」

瀉血は「抜けば抜くほど良い」とされる時期もありました。特に18世紀後半から19世紀にかけてのアメリカでは、ベンジャミン・ラッシュという有名な医師が「大量の血を抜くことで病気を劇的に治す」という「英雄的医療」を提唱し、これが大流行します。

この過激な治療の犠牲となった最も有名な人物が、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンです。

1799年、引退後のワシントンは喉の激しい炎症(急性喉頭蓋炎などと考えられています)で倒れました。駆けつけた医師たちは、当時の最新かつ最善の治療法として、何度も彼に瀉血を行いました。結果として、わずか半日の間に彼自身の総血液量の約半分(2リットル以上)もの血が抜き取られました。衰弱しきったワシントンは、病気そのものというよりも、過剰な出血によるショック(失血死)によって、翌日にこの世を去ってしまったのです。

終焉:統計学が「狂気」を証明した

ワシントンが死んでもなお、「瀉血が原因だ」と考える医師は少数派でした。なぜなら、患者の血を抜いて失神させると、暴れていた患者は大人しくなり、熱で赤かった顔は真っ青に(青ざめて)冷たくなるため、医師たちは「よし、炎症が治まった!」と勘違いしていたからです。

この2000年続いた常識に決定的なトドメを刺したのが、19世紀のフランスの医師ピエール=シャルル=アレクサンドル・ルイです。

彼は、現代の「エビデンスに基づく医療(EBM)」の先駆者と言える人物です。彼は肺炎の患者たちを、「病気の初期に瀉血されたグループ」と「後期に瀉血されたグループ」などに分け、その死亡率を「統計的(数値的)」に比較・分析しました。

その結果は驚くべきものでした。初期に積極的に血を抜かれた患者の死亡率(44%)のほうが、後になってから抜かれた患者(25%)よりも圧倒的に高かったのです。

彼の研究や、その後の病理学(病気の原因は細菌やウイルスの感染、あるいは臓器の構造的な問題であるという発見)の発展により、瀉血という行為が「効果がないどころか、患者の体力を奪い、感染症のリスクを高める極めて有害な行為である」ことがようやく科学的に証明されました。

こうして19世紀の終わり頃から、瀉血は急速に医学の表舞台から姿を消していったのです。

まとめ:過去の常識は、未来の非常識

現在、一部の特殊な血液疾患(多血症やヘモクロマトーシスなど)の治療や、ヒルを使って鬱血を取り除く微細外科手術などを除き、一般的な治療として瀉血が行われることは絶対にありません。

しかし、私たちは昔の医師たちを「ただの無知な野蛮人だった」と笑うことはできません。彼らは彼らなりに、当時の最先端の理論(四体液説)に基づき、患者を救おうと真剣にこの治療を行っていたのです。そして、患者たち自身も「血を抜いてもらうとスッキリした気がする」と信じ込んでいました。

瀉血の歴史は、「どれほど偉い学者が提唱し、どれほど多くの人が長く信じている常識であっても、科学的な根拠(データ)がなければ、それはただの危険な思い込みに過ぎない」という、極めて重要な教訓を私たちに教えてくれます。

現代の私たちが当たり前のように受けている医療の中にも、数百年後の未来の医師たちから見れば「あの頃の人間は、なんて恐ろしい治療をしていたんだ!」と驚かれるようなものが、もしかすると潜んでいるのかもしれませんね。

【参考リンク】
瀉血- Wikipedia
※本記事では英語版も参考にしました

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