- 「ブラックフット族(Blackfoot)」とは、現在のアメリカ合衆国モンタナ州からカナダのアルバータ州にかけての広大な平原に住む、北米の先住民族(インディアン)です。
- 単一の部族ではなく、アルゴンキン語系の言語を共有する「シクシカ族」「カイナイ族(ブラッド族)」「ピイカニ族(ピーガン族)」の3つの部族が強力な同盟を結んだ「ブラックフット連盟」を指します。
- 「黒い足」というユニークな名前の由来は、彼らが履いていた革の靴(モカシン)を黒く塗っていたから、あるいは焚き火の灰でモカシンが黒く汚れていたからだと言われています。
- 18世紀に白人から「馬」と「銃」を手に入れると、バッファロー狩りの達人にして無敵の騎馬民族へと急成長し、「大平原の覇者」として白人や他の部族から恐れられました。
- しかし19世紀後半、白人が持ち込んだ天然痘などの伝染病と、白人によるバッファローの無差別乱獲によって人口が激減し、現在は居留地(保留地)での生活を余儀なくされています。
西部劇の映画や小説を見ていると、頭に美しい羽根飾り(ウォーボンネット)をつけ、馬にまたがって大平原を駆け抜けるインディアン(ネイティブ・アメリカン)の姿が登場しますよね。私たちがイメージするあの「典型的なインディアン」のライフスタイルを体現し、かつて北米大陸で最も強大な勢力を誇った部族の一つが「ブラックフット族」です。
彼らはもともと平和な森の住人でしたが、ある「2つのアイテム」を手に入れたことで、一躍大平原の最強戦闘集団へと変貌を遂げました。
今回は、アメリカ・カナダの国境地帯で独自の文化を育み、自然と共に生きた誇り高き狩猟民族「ブラックフット族」の歴史と、彼らを襲った悲劇について詳しく解説していきます。
「黒い足」の由来と、強固な3部族の絆
「ブラックフット(黒い足)」という名前は非常に印象的ですが、これは白人がつけた呼び名(あるいは他の部族からの他称)が定着したものです。由来には諸説ありますが、最も有力なのは「彼らが履いていた鹿革の靴(モカシン)が黒かったから」というものです。モカシンを黒く染めていたとも、大平原の野火の跡や焚き火の灰の上を歩いたせいで靴の底が真っ黒に汚れていたからだとも言われています。
また、彼らはひとつの部族だけを指す言葉ではありません。言語や文化を共有する以下の3つの大きな部族が、強固な軍事的・政治的同盟を結んだ「ブラックフット連盟」として行動していました。
- シクシカ(Siksika)
これが本来の「ブラックフット(黒い足)」を意味する部族です。 - カイナイ(Kainai)
英語では「ブラッド(血)」族とも呼ばれます。顔などを赤い塗料で塗る風習があったためとされています。 - ピイカニ(Piikani / Peigan)
ピーガン族。連盟の中で最も南に位置し、アメリカ側に多く住んでいました。
彼らは普段は別々に移動して生活していましたが、夏になると一堂に会して巨大なキャンプを張り、祭りや神聖な儀式を共に行うことで、深い絆を保っていました。
森の住人から「大平原の覇者」へ:馬と銃の魔法

(出典;wikimedia commons)
ブラックフット族は最初から大平原(グレートプレーンズ)を馬で駆け回っていたわけではありません。彼らはもともと、現在よりも東の五大湖周辺の森に住む、徒歩で狩りをする人々でした。
彼らの運命を劇的に変えたのは、18世紀初頭に白人(ヨーロッパ人)が北米大陸に持ち込んだ「馬」と「銃」です。 南の部族から馬(彼らは「大きな犬」と呼びました)を、東の白人商人から銃を手に入れたブラックフット族は、西の大平原へと進出しました。
馬を手に入れたことで、彼らの機動力は爆発的に向上しました。広大な平原を高速で移動し、巨大なバッファローの群れを追いかけて狩る「バッファローハンター」へと進化したのです。
また、銃と馬を駆使した彼らの戦闘力は凄まじく、クリー族やクロウ族といった周辺の部族を次々と圧倒し、広大な領土を獲得しました。白人の毛皮商人や入植者たちからも「最も恐ろしい、大平原の覇者」として恐れられる存在になったのです。
バッファローがすべてをくれる:独自の文化と信仰
ブラックフット族の生活は、完全に「バッファロー」に依存していました。
バッファローの肉は食料になり、毛皮は衣服や冬の毛布になり、皮は移動式テント(ティーピー)の屋根に、骨は武器や農具に、そして糞は乾燥させて燃料になりました。彼らにとってバッファローは、大自然(大いなる神秘)が与えてくれた最大の恵みだったのです。
彼らは季節ごとに獲物を追って移動するノマド(遊牧)生活を送っており、巨大なテントである「ティーピー」は、女性たちが数人がかりでわずか数十分で組み立て・解体ができる優れたモバイルハウスでした。
また、彼らの精神世界の中心には「太陽(ナトス)」への強い信仰がありました。 夏に行われる「サン・ダンス(太陽の踊り)」は、世界中の平原インディアンに共通する最も神聖な儀式です。これは、戦士たちが自らの肉体に苦痛を与えながら何日も太陽を見つめて踊り続けることで、大自然のパワーを体内に取り込み、部族の繁栄を祈るという、非常に過酷でスピリチュアルなものでした。
伝染病と乱獲、そして現在
しかし、19世紀中頃から、彼らの無敵の時代に暗い影が落ち始めます。
最大の悲劇は、白人が持ち込んだ「天然痘」や「コレラ」といった未知の伝染病でした。免疫を持たない彼らにとってこれは致命的であり、1837年の天然痘の大流行では、部族の約3分の2が命を落とすという壊滅的な被害を受けました。
さらに、白人の入植が本格化すると、白人たちはスポーツや嫌がらせ、あるいは線路建設のために、平原に何千万頭といたバッファローを無差別に乱獲して絶滅寸前まで追い込みました。 食糧や生活物資のすべてをバッファローに依存していたブラックフット族にとって、これは「死刑宣告」に等しいものでした。飢餓に苦しんだ彼らは、戦う力も失い、最終的にアメリカ政府やカナダ政府との不平等な条約を受け入れ、狭い「居留地(保留地)」へと押し込められてしまったのです。
まとめ:誇りは消えず、現代へ受け継がれる
かつて大平原を支配した最強のハンターたちは、近代化の波と悲惨な歴史の中で多くを失いました。
しかし、ブラックフット族が消滅したわけではありません。現在でもアメリカのモンタナ州とカナダのアルバータ州にある居留地には何万人もの子孫が暮らしています。彼らは長年、白人による同化政策(文化を奪う教育など)に苦しめられてきましたが、近年では自分たちの言語を取り戻し、伝統的な文化や信仰(サン・ダンスなど)を復活させる運動が盛んに行われています。
現在でも彼らは、勇猛な戦士としてのルーツに深い誇りを持っています。広大な大地を馬で駆けた「黒い足」の記憶は、何世代経っても彼らのアイデンティティとして、力強く生き続けているのです。
【参考リンク】
ブラックフット族 – Wikipedia
※本記事ではスペイン語版も参考にしました



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