- バレリア・メッサリナ(Valeria Messalina)は、古代ローマ帝国の第4代皇帝クラウディウスの3番目の妻であり、ローマ史に名を残す「最悪の悪女」の一人として知られています。
- 彼女はローマ帝国の頂点に立つ皇后でありながら、夜な夜な変装して民間の娼館に通い詰め、偽名を使って売春を行っていたという常軌を逸したスキャンダルで有名です。
- さらにはローマで最も有名なプロの娼婦と「どちらが多くの客の相手をできるか」という前代未聞の耐久勝負を行い、見事(?)に勝利したという逸話まで残されています。
- 権力を乱用して政敵や自分の誘いを断った美青年を次々と処刑していましたが、皇帝がローマを留守にしている隙に愛人と「正式な結婚式」を挙げるという暴挙に出たため、ついにクーデターとみなされて処刑されました。
- 彼女の悪名は後世の歴史家たちによって極端に誇張されている可能性もありますが、現在でも「性的に奔放で残酷な悪女」の代名詞として語り継がれています。
歴史上には「悪女」と呼ばれる女性が数多く存在します。権力を握るために政敵を暗殺した者、国のお金を使い果たして贅沢を極めた者など、その悪行は様々です。
しかし、古代ローマ帝国に君臨した皇后メッサリナほど、常識からかけ離れた、ある意味で「ぶっ飛んだ」悪行で名を残した女性は他にいません。彼女の最大の関心事は、政治的な権力でも、宝石やドレスでもなく、ひたすらに「自分の欲望を満たすこと」でした。
世界帝国のトップという誰もが羨む地位にありながら、なぜ彼女は自ら泥沼のようなスキャンダルへと身を投じていったのでしょうか。
当時の記録(タキトゥスなどの歴史家の記述)をもとに、古代ローマを震撼させた彼女の信じられないダブルライフと、その自業自得すぎる破滅への道のりをご紹介します。
皇帝の若き妻の「裏の顔」

(ルーブル美術館)
メッサリナは、ローマ帝国の名門貴族の出身です。彼女は非常に美しく、若干15歳前後でクラウディウスと結婚しました。夫のクラウディウスは彼女よりも30歳以上も年上で、足を引きずり、吃音の癖があったと言われています。
その後、クラウディウスが思いがけず第4代ローマ皇帝に即位したことで、メッサリナも若くしてローマ帝国の「皇后」という絶大な権力を手に入れました。彼女は皇帝との間に二人の子供(ブリタンニクスとオクタウィア)をもうけますが、年老いた夫との生活には全く満足していませんでした。
あふれ出る欲望を抑えきれなくなった彼女は、信じられない行動に出ます。
夜になると、金髪のウィッグを被って顔を隠し、皇宮を抜け出しては、ローマの裏路地にある娼館(売春宿)に通い始めたのです。
詩人ユウェナリスの記録によれば、彼女は「リュキスカ(狼女)」という源氏名(偽名)を名乗り、自ら小さな部屋を借りて、夜明けまで一般の客を相手に体を売っていました。お金に困っていたわけでは当然なく、彼女にとっては皇宮での退屈な生活を紛らわすための、スリルに満ちた「遊び」だったのです。
プロの娼婦に勝利した前代未聞の「耐久勝負」

メッサリナの逸話の中で最も有名なのが、博物学者プリニウスが記録に残している「セックスの耐久勝負」です。
自らのスタミナと魅力に絶対の自信を持っていた皇后メッサリナは、なんとローマで最も名を馳せていたプロの高級娼婦シラ(Scylla)に対して、「一晩でどちらがより多くの男の相手をできるか」という狂気に満ちた勝負を挑みました。
結果はどうだったのか。 プロであるシラは明け方になって体力の限界を迎え、25人でギブアップしました。しかし、メッサリナはその後も昼夜を問わず24時間戦い(?)続け、最終的にプロの娼婦を打ち負かしてしまったのです。
ユウェナリスは、夜明けに娼館が閉まる時間になっても、メッサリナは「まだ満足しきれない様子で、煤で顔を汚しながら皇宮に帰っていった」と皮肉たっぷりに書き残しています。
権力の乱用と、破滅へのカウントダウン
もちろん、彼女の暴走は夜の街だけにとどまりませんでした。
昼間は「皇后」としての絶大な権力を振りかざし、自分の誘いを断った真面目な貴族や美青年たちに無実の罪を着せては、次々と処刑や追放に追いやりました。また、自分が欲しかった美しい庭園(ルクッルスの庭園)を手に入れるためだけに、その持ち主を罠にはめて自殺に追い込むといった悪逆非道も平然と行いました。
夫であるクラウディウス皇帝は、学問好きで政治には有能でしたが、妻のメッサリナには完全に惚れ込んでおり、彼女の言葉を盲信して言いなりになっていました。そのため、彼女の悪行は長年野放しにされていたのです。
しかし西暦48年、彼女はついに「超えてはいけない一線」を超えてしまいます。
メッサリナは当時、ガイウス・シリウスというローマで最も美しいと言われた元老院議員(しかも既婚者)に熱を上げていました。彼女はシリウスに妻と離婚させると、あろうことか皇帝クラウディウスが視察のためにローマを留守にしている隙を狙い、皇宮でシリウスと「正式な結婚式」を挙げてしまったのです。
皇帝の正妻が、皇帝の存命中に別の男と結婚式を挙げる。これは単なる不倫ではなく、愛人を新たな皇帝に据えようとする「国家への反逆(クーデター)」を意味していました。
迎えた最期と「記憶の抹殺」
この前代未聞の事態に、ついに皇帝の側近たち(解放奴隷のナルキッソスら)が動きました。彼らは急いで皇帝クラウディウスに
あなたの妻が別の男と結婚しました!
と報告します。
最初は「何かの冗談だろう」と信じなかったクラウディウスも、事の重大さを理解すると激怒しました。クーデターを恐れた側近たちは、皇帝の心が再びメッサリナへの愛情で揺らぐ前に、独断で近衛兵を送り込みます。
逃げ場を失ったメッサリナは、かつて自分が持ち主を殺して奪い取った「ルクッルスの庭園」に追い詰められました。彼女の母親は
せめて皇后としての尊厳を保ち、自らの手で命を絶ちなさい
と短剣を渡しましたが、恐怖に震えるメッサリナには自害することができず、最後は近衛兵の剣によってその数奇な生涯を閉じました。享年23歳(あるいは28歳)という若さでした。
彼女の死後、元老院は彼女に対して「記憶の抹殺(ダムナティオ・メモリアエ)」という極刑を下しました。これは、彼女の彫像をすべて破壊し、公的な記録から彼女の名前を完全に削り取るという、古代ローマにおいて最も重い刑罰です。
まとめ:彼女は本当に「悪女」だったのか?
自らの欲望のままに生き、国を揺るがしたメッサリナ。
しかし、現代の歴史学者たちの中には、「彼女の逸話の多くは、後世の歴史家たちによって極端に誇張されたもの(フェイクニュース)ではないか」と指摘する声もあります。
古代ローマの歴史書の多くは、権力を握る女性に対して非常に批判的でした。また、後にクラウディウス皇帝の次の妻となる小アグリッピナ(暴君ネロの母親)の派閥が、前妻であるメッサリナの評判を地の底に落とすために、ありもしない「娼婦伝説」を捏造して広めたという見方もあるのです。
彼女がクーデターを企てた野心家であったことは間違いありませんが、本当に夜な夜な娼館に通っていたのかは、今となっては確かめようがありません。
しかし、真実がどうであれ、歴史は彼女を「狂気の悪女」として記憶しました。権力の頂点に立ちながら、理性を手放して破滅へと突き進んだメッサリナの物語は、人間の奥底に潜む果てしない欲望の恐ろしさを、2000年後の私たちに生々しく伝え続けています。
【参考リンク】
メッサリナ – Wikipedia
※本記事では英語版も参考にしました



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