- 「アブナ・イエマタ教会」は、エチオピア北部のティグレ州にある、標高2,580メートルの岩山の頂上付近に作られた岩窟(がんくつ)教会です。
- 「世界で最もアクセスが危険な教会」として知られており、たどり着くには、命綱なしで垂直な岩壁を登り、幅わずか数十センチの断崖絶壁の道(落ちたら即死レベル)を歩かなければなりません。
- 6世紀頃にエチオピアにキリスト教を広めた「九聖人」の一人、アブナ・イエマタ神父によって、巨大な一枚岩を削って作られました。
- こんな危険な場所に建てられた理由は、「異教徒の襲撃や略奪から逃れるため」や「より神に近い場所で祈るため」だと言われています。
- 命がけで登った洞窟の内部には、乾燥した気候のおかげで色鮮やかなまま保存された、15世紀〜17世紀の見事なフレスコ画が一面に広がっています。
「教会へお祈りに行く」と聞いて、あなたはどんな道のりを想像しますか? 近所の道を少し歩いたり、日曜日に車で出かけたりといった、穏やかな風景を思い浮かべるはずです。
しかし、アフリカ大陸の角に位置するエチオピアには、そんな生易しい常識が一切通用しない、文字通り「命がけ」でなければたどり着けない教会が存在します。
垂直にそそり立つ高さ数百メートルの岩壁。滑りやすい岩肌。足を滑らせれば谷底へ真っ逆さまの絶壁。そこを、靴を脱ぎ、自分の手と足だけを頼りにロッククライミングして登らなければならないのです。
今回は、高所恐怖症の人なら写真を見るだけでも足がすくんでしまう、世界最恐の天空の聖地「アブナ・イエマタ教会」について、そのクレイジーすぎる全貌と、なぜ人々がこんな場所に祈りの場を作ったのかという歴史のロマンに迫ります。
リアル「ファイト・一発」な天空への道のり
アブナ・イエマタ教会があるのは、エチオピア北部のティグレ州、ゲラルタ山脈の雄大な風景の中です。遠くから見ると、荒野に突き出た巨大な砂岩の塔のような山の、頂上付近のわずかな窪みにその教会は隠れています。
観光客であっても、この教会を目指すなら厳しい試練が待ち受けています。 山の麓から歩き始め、急な斜面を1時間ほど登ると、ついに「最後の難関」である垂直の岩壁が現れます。高さは約10メートル。はしごや階段なんて親切なものはありません。

聖なる場所に入るため、登る前に靴を脱ぐのがここのルールです。岩の表面に開けられた、わずかな指の引っ掛かり(ホールド)と足場を探しながら、裸足で岩壁にしがみついて登っていきます。現在でこそ観光客向けに補助ロープを貸してくれるガイドもいますが、元々は完全なフリークライミング状態です。
岩壁を登り切った後も気は抜けません。幅がわずか50センチほどしかない、左側は数百メートルの断崖絶壁という「死の散歩道」を、岩壁にへばりつくようにして歩かなければならないのです。まさに「滑落=死」という極限状態の連続です。
なぜ、わざわざこんな危険な場所に?
息も絶え絶えになってようやくたどり着くような、不便極まりない岩山のてっぺん。なぜ、昔のエチオピアの人々はこんなクレイジーな場所に教会を作ったのでしょうか。
アブナ・イエマタ教会が作られたのは、今から約1500年前の6世紀頃だと言われています(諸説あります)。開いたのは、ローマ帝国やシリア方面からエチオピアにキリスト教を広めるためにやってきた「九聖人」の一人、アブナ・イエマタ神父です。
彼らがわざわざ断崖絶壁の岩をノミでくり抜いて教会を作ったのには、いくつかの切実な理由がありました。
- 外敵からの防衛
当時のエチオピアは、イスラム勢力や他の異教徒からの襲撃や略奪の危険に常に晒されていました。貴重な聖典や宝物、そして信者たちを守るためには、「部外者が絶対に手を出せない要塞のような場所」が必要だったのです。 - 神への接近と苦行
宗教的な意味合いも強くありました。空高くそびえる山頂は「神に最も近い場所」とされ、そこに登る困難な道のり自体が、信仰を試す「苦行(修行)」として捉えられていました。 - 地質的な理由
岩山の頂上付近の砂岩は、風化によって適度に柔らかくなっており、当時の未発達な道具でも洞窟を掘り進めやすかったという実用的な理由もありました。
つまりここは、物理的な要塞であると同時に、精神的な要塞でもあったのです。
死の恐怖の先にある、極彩色の奇跡
恐怖を乗り越えて小さな木のドアを開け、洞窟の内部(約10畳ほどの広さ)に足を踏み入れると、外の荒々しい岩肌からは想像もつかないような「奇跡の空間」が広がっています。
教会の壁から天井に至るまで、一面に旧約聖書や新約聖書の物語、そして九聖人たちの姿を描いた見事なフレスコ画(壁画)がビッシリと描かれているのです。

これらの壁画は15世紀から17世紀にかけて描かれたものですが、驚くべきことに、現在に至るまでほとんど修復されていません。エチオピアの高地の非常に乾燥した空気が、何百年もの間、絵の具の鮮やかな色彩を完璧な状態で保存し続けてきたのです。
西洋の洗練された宗教画とは一味違う、どこか素朴で独特な大きな目をした人物たちが描かれたエチオピア正教会特有の芸術。外の灼熱の太陽と死の恐怖から一転して、薄暗く涼しい洞窟の中でこの鮮やかな絵に包まれるとき、誰もが深い神秘性と安らぎを感じずにはいられないと言います。
「誰も落ちたことがない」という絶対の信仰
さて、これほどまでに危険な道のりですが、驚くべき事実があります。
この教会を管理している地元の司祭や、熱心なエチオピア正教会の信者たちは、現在でもロープなどの安全装備を一切使わずに、スイスイとこの崖を登り降りしています。中には70歳を超える高齢の神父が毎日登ってミサを行ったり、母親が生後わずか数十日の赤ちゃんを背中におぶって、洗礼を受けさせるためにこの崖を登ったりするのです。私たちの常識からすると、正気の沙汰とは思えません。
しかし、地元の人々に言わせれば「怖い」という感覚はないのだそうです。なぜなら、「アブナ・イエマタを含む九聖人が私たちを守ってくれているから」。
実際、地元の神父たちは「この教会ができてから1500年間、崖から落ちて死んだ者は一人もいない」と語り継いでいます。(観光客の中には途中で怖くなって泣き出し、引き返す人もたくさんいるようですが……)。
まとめ
エチオピアの岩山にひっそりと、しかし力強く存在するアブナ・イエマタ教会。
現代の私たちは、安全で舗装された道を歩くことに慣れきってしまっています。しかし、あえて命の危険を冒さなければたどり着けないこの天空の教会は、「信仰」というものが人間にもたらす途方もないエネルギーと執念を、これ以上ないほど強烈な形で私たちに突きつけてきます。
危険だからこそ、敵は近づけなかった。 危険だからこそ、壁画は破壊されず現代まで美しく残った。 そして危険だからこそ、そこへたどり着いた人々の祈りは純粋なものになった。
もしあなたが、人生観が変わるような究極の絶景と冒険を求めているなら、エチオピアの乾いた風と、聖人たちが守るこの断崖絶壁に挑戦してみるのもいいかもしれません。ただし、十分な覚悟と、滑りにくい靴だけはお忘れなく。
※本記事では英語版を参考にしました




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