- 「ディサポイントメント湖(Lake Disappointment)」は、西オーストラリア州の過酷な砂漠地帯(リトルサンディ砂漠)に存在する巨大な塩湖です。
- 直訳すると「がっかり湖/失望の湖」。1897年に探検家のフランク・ハンが、「大きな淡水湖があるはずだ!」と期待に胸を膨らませて辿り着いたものの、一面の塩湖だったために絶望してこの名前を付けました。
- 普段は水が完全に干上がっており、塩の結晶が白く輝く不毛な大地ですが、熱帯性の豪雨が降った時期だけ幻のように水が張ります。
- 地元の先住民マルトゥ族にとっては、巨人と戦ったという神話が残る神聖かつ恐れられている場所であり、彼らはみだりに湖へ近づくことを避けてきました。
- 近年、先住民の歴史と文化を尊重する動きが高まり、2020年に湖の正式名称はマルトゥ族の伝統的な呼び名である「クンプピンティル湖(Kumpupintil Lake)」へと変更されました。
地図を眺めていると、時折「どうしてこんな名前になったんだろう?」と首を傾げたくなるような奇妙な地名に出会うことがあります。
オーストラリアの内陸部、見渡す限りの赤土と砂丘が広がる過酷なアウトバックの奥深くに、一度聞いたら絶対に忘れられない名前の湖が存在します。
その名も「ディサポイントメント湖(Lake Disappointment)」。 日本語に直訳すれば、なんと「失望の湖」あるいは「がっかり湖」です。
広大な自然に対して、いくらなんでもネガティブすぎるネーミングですよね。しかし、このユニークな名前の裏には、19世紀の探検家の過酷なサバイバルと、水に命を懸けた男の文字通りの「大いなる絶望」が隠されていました。
今回は、オーストラリアの死の砂漠に広がる白い絶景と、近年になって書き換えられた湖の真の歴史について、詳しく紐解いていきましょう。
「内陸の海」を夢見た探検家の過酷な旅
物語の舞台は、1897年の西オーストラリア。当時、オーストラリアの広大な内陸部はヨーロッパからの入植者たちにとって「未知の空白地帯」であり、鉱物資源や新たな牧草地を求めて、多くの探検家たちが命がけの調査を行っていました。
その中の一人に、フランク・ハン(Frank Hann)という探検家がいました。

(出典:wikimedia commons)
彼は西オーストラリア州のピルバラ地域(鉄鉱石などで有名な地域です)の東側を探索している最中、ある奇妙な地理的特徴に気がつきました。このあたりを流れる川や小川が、海に向かうのではなく、こぞって「内陸の奥深く」に向かって流れていたのです。
砂漠の真ん中に向かって川が流れているということは、その行き着く先には、水が集まる巨大なオアシスがあるに違いない。
ハンは興奮しました。オーストラリアの探検史において、「内陸に巨大な淡水湖(あるいは内海)があるはずだ」という伝説は、長年にわたり多くの探検家たちを魅了し、そして狂わせてきた夢でした。もし自分がその広大な淡水湖を発見すれば、歴史に名を残す大発見になります。
彼は期待に胸を膨らませ、干上がった川の跡をたどって、灼熱の砂漠を何日もかけて東へと進んでいきました。
目の前に広がっていた「白い絶望」
やがて彼の視界の先に、キラキラと輝く巨大な湖の水面らしきものが現れました。その広さはなんと約330平方キロメートル(琵琶湖の半分ほどの大きさ)にも及びます。
ついにやった! 大量の水だ!
ハンと探検隊は喜び勇んで湖畔へと駆け寄りました。しかし、彼らがそこで目にしたのは、オアシスとは程遠い、死の世界でした。
輝いて見えたのは水ではなく、完全に干上がった「塩の結晶」だったのです。ディサポイントメント湖は、川の水が流れ込むものの、出口がないために強烈な太陽熱で水分だけが蒸発し、塩分だけが蓄積していく「塩湖(えんこ)」でした。
喉はカラカラ、周囲に飲み水となる真水は一滴もなく、ただ見渡す限りの真っ白な塩の平原が広がっているだけ。自分が追い求めていたオアシスが完全な幻影であったことを悟り、彼は膝から崩れ落ちるほどのショックを受けました。
この時の骨の髄まで染み渡るような絶望感と徒労感から、ハンはこの広大な塩の塊を「Lake Disappointment(失望の湖)」と名付けたのです。命がけの旅の果てのこの仕打ちは、探検家でなくとも「がっかり」では済まされない悲劇でした。
現代のディサポイントメント湖:固有種の宝庫
探検家を絶望の淵に追いやったディサポイントメント湖ですが、自然環境としては非常に興味深い特徴を持っています。
この湖はリトルサンディ砂漠の北端に位置し、現在でも周辺には道路も観光施設もほとんどありません。砂丘に囲まれた過酷な環境であるため、最も経験を積んだ砂漠の旅人でなければ近づくことすら困難な「秘境中の秘境」です。
普段は水のない真っ白な塩の平原ですが、オーストラリア北部に熱帯低気圧(サイクロン)が襲来し、大規模な大雨が降った年にだけ、湖は一時的に水で満たされます。すると、どこからともなく無数の水鳥たちが飛来し、一時的な命の楽園へと姿を変えるのです。
さらに驚くべきことに、近年になってこの過酷な塩湖の周辺で、新種のトカゲやヤモリ(ディサポイントメント・グラウンド・ゲッコーなど)が次々と発見されています。彼らは、人間が住めないほどの強烈な塩分と乾燥という環境に完璧に適応し、独自の進化を遂げてきたのです。探検家にとっては「死の湖」でも、野生生物にとってはかけがえのないオアシスだったのですね。
「失望」から「誇り」へ:クンプピンティル湖への改名
100年以上にわたり「失望の湖」として世界の地図に記されてきたこの場所ですが、実は、ヨーロッパ人がやって来る何万年も前から、この地を生き抜いてきた人々がいました。
それが、先住民マルトゥ族です。
彼らにとって、この湖は探検家の「がっかりスポット」などではなく、非常に神聖で、同時に恐れ多い特別な場所でした。マルトゥ族の言葉で、この湖は「クンプピンティル(Kumpupintil)」と呼ばれていました。
マルトゥの天地創造の神話(ドリームタイム)によれば、クンプピンティルは、古代のマルトゥの戦士たちが恐ろしい巨大な精霊(巨人)たちと壮絶な戦いを繰り広げた、叙事詩的な古戦場であるとされています。そのため、湖とその地下には今でも強力な精霊たちが住んでいると信じられており、マルトゥ族の人々は敬意と畏れから、儀式などの特別な理由がない限り、みだりに湖へ近づくことを避けてきました。
近年、オーストラリアでは先住民の歴史と文化を尊重し、植民地時代に付けられた地名を本来の呼び名に戻そうという動きが活発になっています。有名な「エアーズロック」が「ウルル」と呼ばれるようになったのもその一環です。
そして2020年、歴史的な決定が下されました。 西オーストラリア州政府は、マルトゥ族の人々からの長年の要望を受け入れ、「ディサポイントメント湖」という名称を公式に廃止し、本来の「クンプピンティル湖(Kumpupintil Lake)」へと名称を変更したのです。
まとめ
「水がない!」と絶望したイギリス人探検家の物語から、「ここは神聖な巨人の戦場だ」という先住民の壮大な神話へ。
湖の名称変更は、単に看板を掛け替えるというだけのことではありません。それは、私たちが「誰の視点から世界を見ているのか」という歴史の認識を、大きくアップデートする出来事でもありました。
もしも地図帳を開いてオーストラリアの西側を見る機会があれば、そこにはもう「失望(ディサポイントメント)」の文字はありません。代わりに、何万年もの間この過酷な大地と共生してきた人々の誇りを示す「クンプピンティル」という名前が、しっかりと刻まれているはずです。
※本記事では英語版も参考にしました




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