- フランク・ヘイズ(1901年〜1923年)は、世界のスポーツ史上でも類を見ない「レース中に死亡したにもかかわらず、そのまま1着でゴールして勝利を収めた」唯一の騎手(ジョッキー)です。
- 1923年6月4日、ニューヨークの名門・ベルモントパーク競馬場で行われた障害競走に、オッズ20対1の大穴である7歳の牝馬「スイートキス」に乗って出走しました。
- レースの中盤、ヘイズはサドル上で急性の心臓発作を起こして息を引き取ります。しかし、彼の体は奇跡的に馬から落ちることなく鞍に留まり続け、馬はそのまま先頭でゴールラインを駆け抜けました。
- 悲劇の原因は、レースに出場するために行った極端で過酷な減量(わずか数日で約5.5キロも体重を落としたこと)による心臓への過度な負担だったと言われています。
- 見事な勝利をもたらした愛馬スイートキスですが、この事件以降「死の甘いキス(Sweet Kiss of Death)」という不吉なニックネームで呼ばれるようになり、誰も騎乗したがらなくなったため、二度とレースに出ることはありませんでした。
「事実は小説よりも奇なり」ということわざがありますが、スポーツの歴史を紐解くと、時としてハリウッドの脚本家でも思いつかないような、信じられない出来事に出くわすことがあります。
勝負の世界には数々の奇跡的な逆転劇がありますが、「騎手がレースの途中で死んでいたのに、そのまま馬が走り続けて1着になった」と聞けば、多くの人は「いくらなんでも都市伝説だろう」と笑うかもしれません。
しかし、これは1923年のアメリカで実際に起きた、悲しくも奇妙な真実です。
ギネス世界記録にも「死後に勝利を収めた唯一の騎手」としてその名を刻む青年、フランク・ヘイズ。彼のキャリア最初で最後の勝利は、一体どのようにして生み出されたのか。今回は、競馬史に残る最もミステリアスなレースの全貌に迫ってみたいと思います。
騎手になる夢を追いかけた青年
フランク・ヘイズは1901年にアイルランドで生まれ、アメリカへ渡ってきた青年でした。彼は馬をこよなく愛し、ニューヨークの競馬界で馬の世話をする厩務員(きゅうむいん)や調教師として働きながら、いつか自分もプロのジョッキーとして大歓声の中を駆け抜けることを夢見ていました。
当時の彼は22歳(※一部の記録では35歳という説もあります)。決して華々しいスター候補生ではなく、裏方として汗を流す日々でした。過去に何度か見習いとしてレースに出場したことはあったものの、一度も勝利を挙げたことはなく、ジョッキーとしてはまったく無名の存在だったのです。
そんな彼に、千載一遇のチャンスが巡ってきます。馬主のA.M.フレイリング氏から、ベルモントパーク競馬場で行われる約3.2キロの障害競走(スティープルチェイス)で、一頭の馬に乗ってほしいと依頼されたのです。
馬の名前は「スイートキス(Sweet Kiss)」。7歳の牝馬でした。 専門家たちの予想は「オッズ20対1」という圧倒的な大穴。誰一人として、この無名の青年と評価の低い馬が勝つとは思っていませんでした。しかしヘイズにとっては、待ちに待った晴れ舞台。彼はこのチャンスに並々ならぬ執念を燃やしました。
過酷な減量と運命のベルモントパーク
このレースに出走するためには、大きな壁がありました。規定の体重制限です。 当時のヘイズの体重は約142ポンド(約64.4キロ)ありましたが、レースに出るためには130ポンド(約59キロ)まで体重を落とさなければなりませんでした。
レースまでの日数はごくわずか。彼は走って汗を流し、食事を極限まで絶ち、数日間で約5.5キロという、現代の医学から見れば極めて危険で無茶な急激な減量を敢行しました。
そして運命の1923年6月4日。ニューヨークのベルモントパーク競馬場。 体内の水分もエネルギーも枯渇し、フラフラの状態だったはずのヘイズですが、彼は周囲にそんな素振りを見せることなく、憧れの勝負服に身を包み、スイートキスの鞍上に跨りました。ゲートが開き、いよいよレースがスタートします。
「死者」が駆け抜けたレース
レースが始まると、スイートキスは予想を裏切る見事な走りを見せました。ライバル馬たちを次々と抜き去り、見事なジャンプで障害物をクリアしていきます。
しかし、レースが中盤に差し掛かったその時、ヘイズの体に限界が訪れました。過酷な減量とレースの極度の緊張、そして激しい運動が重なり、彼の心臓は悲鳴を上げたのです。ヘイズはサドルの上で、重度の心臓発作(急性心筋梗塞)を起こしました。
普通であれば、騎手が意識を失えばそのまま落馬し、大事故に繋がります。 ところが、奇跡が起きました。ヘイズの体は前のめりに崩れ落ちたものの、なぜか足はあぶみに掛かったまま、そして腕は馬の首に抱きつくような姿勢で固定され、鞍の上から落ちなかったのです。
背中の上の異変(主の死)にスイートキスが気づいていたのかどうかは、誰にも分かりません。しかし、この健気な牝馬はスピードを落とすことなく、気を失った(すでに息絶えていた)主人の体を乗せたまま、最後の障害物を飛び越え、後続の馬を頭一つ引き離して見事に先頭でゴールラインを駆け抜けたのです。
「大穴のスイートキスが勝った!」 競馬場が割れんばかりの大歓声に包まれた直後、異変が起きます。ゴールラインを100ヤードほど過ぎたあたりで、スイートキスがゆっくりとスピードを緩めると、背中にしがみついていたヘイズの体がついに力尽きたようにズルリと地面に滑り落ちたのです。
馬主のフレイリング氏や大会の医師が慌てて駆け寄りました。彼らはヘイズが勝利の興奮と疲労で気を失っただけだと思っていました。しかし、医師が彼を抱き起こして診察したとき、衝撃的な事実が告げられます。
彼は死んでいる。ゴールするずっと前に……
歓声は悲鳴と沈黙に変わり、競馬場は異様な空気に包まれました。 勝者は、すでにこの世にはいなかったのです。
「死の甘いキス」と呼ばれた馬と、永遠の勝負服
競馬のルールを管理するジョッキークラブは、この前代未聞の事態に協議を重ねました。騎手がレース中に死亡していた場合、そのレース結果は有効なのか?
結論として、彼の体はゴールするまで確かに馬の上に留まっており、規定の重量も満たしていたため、この勝利は「公式なもの」として認められました。これにより、フランク・ヘイズは歴史上で唯一、死体となってレースに勝利したジョッキーという不滅の記録を残すことになったのです。
しかし、この物語には少し悲しい後日談があります。 彼を乗せて1着で駆け抜けた牝馬スイートキス。彼女は何も悪くありませんし、むしろ奇跡的な走りを見せた名馬でした。しかし、この一件があまりにもセンセーショナルだったため、彼女には「死の甘いキス(Sweet Kiss of Death)」という恐ろしい不吉なニックネームが付けられてしまいました。
「あの馬に乗ると呪われる」「死人を乗せて走った馬だ」という迷信が広まり、その後、どんなジョッキーも彼女に乗ることを拒否しました。結局、スイートキスは若くして引退を余儀なくされ、二度とレースに出走することなくその生涯を終えました。
一方のフランク・ヘイズ。彼の葬儀は、数日後に多くの競馬関係者が参列する中で厳かに執り行われました。 彼の亡骸が納められた棺の中。そこに眠る彼が着ていたのは、よそ行きのスーツではなく、彼が最初で最後の勝利を手にしたときに着ていたカラフルなジョッキーの勝負服だったそうです。
まとめ:勝利への執念が生んだ、奇妙で悲しい伝説
減量という過酷な自己犠牲の果てに命を落とし、それでもなお鞍から落ちることなく勝利をもぎ取ったフランク・ヘイズ。
彼の執念が体をそこへ留まらせたのか、それともスイートキスという馬が主人の夢を叶えるために気遣って走ったのか。科学的に見れば単なる物理的なバランスの偶然だったのかもしれません。しかし、このエピソードには、そう簡単に割り切れない不思議なロマンと哀愁が漂っています。
私たちがスポーツや競技を見るとき、その裏側には時に命を削るような選手の並々ならぬ努力や苦悩が隠されています。ニューヨークの競馬場の片隅で生まれたこの奇妙な伝説は、「夢を追いかける人間の執念」がいかに凄まじいものかを、100年後の私たちに静かに、そして少し不気味に語りかけているような気がしてなりません。
※本記事では英語版を参考にしました




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