- バイオレット・ジェソップ(1887年〜1971年)は、20世紀初頭に活躍した豪華客船の客室係であり、看護師です。
- 彼女は、歴史に名を残すホワイト・スター・ライン社の巨大客船三姉妹、「オリンピック号」「タイタニック号」「ブリタニック号」のすべてに乗船し、その全ての重大事故に遭遇しました。
- 1911年、軍艦と衝突した「オリンピック号」に乗船して無傷で帰還。翌1912年、氷山に衝突して沈没したあの「タイタニック号」からも救命ボートで生還しました。
- さらに第一次世界大戦中の1916年、病院船として徴用されていた「ブリタニック号」に看護師として乗船中、機雷に触れて船が沈没。スクリューに巻き込まれそうになりながらも、海へ飛び込んで奇跡的に助かりました。
- 普通なら海がトラウマになりそうなものですが、彼女はその後も船上で働き続け、世界中を航海して42年間のキャリアを全うしました。彼女は後世の人々から「ミス・アンシンカブル(不沈の女性)」と呼ばれています。
「豪華客船に乗って世界中を旅する」というのは、いつの時代もロマンに溢れていますよね。しかし、もしあなたが乗った船が、歴史に残るような大事故に立て続けに見舞われたらどうしますか? きっと「もう二度と海には近づきたくない!」と思うのが普通でしょう。
しかし、歴史上には、海運史に残る「三大悲劇」のすべてに居合わせ、そのすべてから生還し、あろうことかその後も平然と船に乗り続けたという、信じられないような女性が存在します。
彼女の名前は、バイオレット・ジェソップ。
「世界一運が悪いのか、それとも世界一運が良いのか?」と議論される彼女の人生は、まさに「事実は小説より奇なり」を地で行くような驚きの連続でした。今回は、三度の絶望的な危機を乗り越え、「ミス・アンシンカブル(不沈の女性)」と讃えられた彼女の、数奇で力強い生涯をご紹介します。
美貌を隠して海へ! 不屈の幼少期とキャリアの幕開け

バイオレット・ジェソップは1887年、アルゼンチンに移住したアイルランド系の両親のもとに、9人きょうだいの長女として生まれました(うち3人は幼くして亡くなっています)。
彼女の「死の淵からの生還」は、実は船に乗る前から始まっていました。幼い頃に当時不治の病とされた結核に感染し、医師からは「あと数ヶ月の命だ」と宣告されたにもかかわらず、見事にこれを克服して生き延びたのです。生まれつき、尋常ではない生命力を持っていたのかもしれません。
16歳の時に父親が亡くなり、家族でイギリスへ帰国。その後、母親が病に倒れたため、バイオレットは一家の大黒柱として働くことを決意します。彼女が選んだのは、母親と同じ「客船の客室係(スチュワーデス)」という職業でした。
しかし、ここで意外な壁にぶつかります。当時の客室係は中高年の女性が一般的で、若くて魅力的なバイオレットは「美人すぎて乗客や乗組員とトラブル(恋愛沙汰など)を起こすのではないか」と懸念され、面接でことごとく落とされてしまったのです。そこで彼女は、わざとボロボロの地味な服を着て、一切の化粧をせずに面接に臨み、見事ロイヤル・メイル・ライン社の仕事をもぎ取りました。
そして1910年、彼女は当時世界最大の海運会社であったホワイト・スター・ライン社に移籍します。これが、彼女と「三姉妹の客船」との運命の出会いでした。
衝突! オリンピック号での最初の試練
1911年、バイオレットは当時世界最大の客船であった「オリンピック号」に乗船します。これは、後に悲劇の船となるタイタニック号の「長女」にあたる姉妹船です。
就航から間もない1911年9月20日、イギリスのサウサンプトン沖で事件は起きました。オリンピック号がイギリス海軍の巡洋艦「ホーク」と衝突してしまったのです。
ホークの船首はオリンピック号の側面に激突し、船体に大きな穴を開けました。しかし、オリンピック号は沈没するように設計されておらず、浸水は防水隔壁によって食い止められました。幸いなことにこの事故での死傷者はゼロ。船は自力で港へ戻ることができました。
この時バイオレットは無傷で生還しましたが、普通の感覚なら「船の仕事は危険だ」と震え上がるところです。しかし、彼女はあっさりと仕事を続けました。この程度の事故は、彼女のその後の人生における「ほんの序章」に過ぎなかったのですから。
沈没! タイタニック号の悲劇と救命ボートの赤ちゃん
翌1912年4月。バイオレットは、オリンピック号の妹分として華々しくデビューした「タイタニック号」に客室係として乗船することになりました。当初、彼女は乗り気ではありませんでしたが、友人たちから「あんな素晴らしい船に乗らないなんてありえない!」と説得されて渋々乗船したと言われています。
そして運命の4月14日深夜、タイタニック号は氷山に衝突します。
船が沈みゆく大混乱の中、客室係としての職務を全うするよう命じられたバイオレットは、甲板に立ち、英語が分からない乗客たちに「こうやって救命胴衣を着るのよ」と手本を見せながら、冷静に避難誘導を行いました。
いよいよ船の沈没が避けられなくなった時、彼女自身も救命ボート16号に乗るよう指示されます。ボートに乗り込んだ瞬間、ある士官から「この子をお願い!」と見ず知らずの赤ちゃんをポイと手渡されました。
凍えるような大西洋の海の上で、彼女は一晩中、その赤ちゃんを上着の胸に抱きしめて温め続けました。翌朝、救助に駆けつけたカルパチア号に収容された後、パニック状態の女性(おそらく赤ちゃんの母親)が駆け寄ってきて、無言のままバイオレットの腕から赤ちゃんをひったくり、走り去っていったそうです。
後にバイオレットは回顧録で
ありがとうの一言くらいあっても良かったのに、よほど気が動転していたんでしょうね
と、少し呆れたように、しかし温かな眼差しで振り返っています。
機雷! ブリタニック号からの決死のダイブと「歯ブラシ」
タイタニック号の生還から2年後、第一次世界大戦が勃発します。バイオレットはイギリス赤十字社の看護師として志願し、またしても海へ出ました。乗船したのは、三姉妹の末っ子である「ブリタニック号」でした。この船は豪華客船として建造されましたが、戦争のために病院船として白く塗られ、巨大な赤十字のマークが描かれていました。
1916年11月21日、ギリシャのエーゲ海を航行中、ブリタニック号はドイツ軍が敷設した機雷に触れて大爆発を起こします。
船は急速に沈み始め、バイオレットも救命ボートに乗り込みました。しかし、ここでタイタニックの時を上回る最大の危機が訪れます。沈みゆく船の巨大なスクリューが海面でまだ猛烈な勢いで回転しており、彼女の乗った救命ボートがそのスクリューに向かって吸い寄せられていったのです。ボートに乗っていた人々が次々と切り刻まれていく地獄絵図の中、バイオレットは間一髪のところで海へ飛び込みました。
海中に引きずり込まれ、船の竜骨(キール)に頭を強打した彼女ですが、豊かな髪の毛をクッションのように結い上げていたことと、厚いコートを着ていたことが幸いし、海面に浮き上がって別のボートに救助されました。
ちなみに、彼女がブリタニック号から脱出する際、部屋に戻って「歯ブラシ」を忘れずにポケットにねじ込んだという有名なエピソードがあります。「タイタニックが沈んだ後、カルパチア号で救助された時に、歯ブラシがなくて一番困ったから」という理由でした。沈没の危機を前にしてその教訓を活かすとは、とんでもない肝の据わり方です。
なお、彼女はこの時に頭蓋骨を骨折していましたが、そのことに気づいたのは数年後に「ひどい頭痛」で医者に診てもらった時だったそうです。頑丈にも程があります。
まとめ
三度の大事故に見舞われ、うち二度は船が完全に沈没するという凄まじい経験をしたバイオレット。普通の神経なら、もう一生海は見たくない、船なんて金輪際ごめんだと思うでしょう。
しかし、彼女の辞書に「トラウマ」という文字はなかったようです。
大戦が終わった後も、彼女は何食わぬ顔でホワイト・スター・ライン社に復帰し、その後は別の船会社にも移籍しながら、世界中の海を巡り続けました。客船での仕事に誇りを持ち続け、1950年に60代で引退するまで、実に42年間もの歳月を海の上で過ごしたのです。
引退後はイギリスのサフォーク州にある静かな田舎町で庭いじりなどを楽しみ、1971年に心不全で静かにこの世を去りました。享年83歳。激動の海を生き抜いた彼女には、平穏で長寿な晩年が用意されていました。
「歴史上最も運が悪い女性」と呼ぶ人もいれば、「神に守られた最も運の良い女性」と呼ぶ人もいます。しかし確かなのは、バイオレット・ジェソップが、どんな絶望的な状況に陥っても決して生きることを諦めない、強靭な生命力と不屈の精神を持った女性だったということです。
「ミス・アンシンカブル」。その称号は、巨大な鋼鉄の船にではなく、この小柄でたくましい一人の客室係にこそ、最もふさわしいものだったのかもしれません。
※本記事では英語版も参考にしました



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